踵を踊らせて

コンマ打つときにコツがいるのよ

20240101_さよなら年末また来て年始

・振り返るぜ~2023年。

・1月は心穏やかに過ごしたいな~と思っていたけれど、他所の部署のトラブルの煽りを受けていきなり朝夜2交代制労働を1週間近く繰り返すハメになってしまった。3連休も潰れちゃったんだよな。
・必要に迫られプリンタを買ったのもこの時期で、なんだかんだ2023年ベストバイに入るかもってくらい使っている。元々会社の資格試験勉強の問題やら何やらを印刷する必要があって、その度にセブンプリントを使っていたのが面倒になったんですよね。その分炊飯器を置くスペースがなくなったんだけどな。ガハハ。
www.brother.co.jp
・今までTwitterを見るのに使っていたTweetlogixを使えなくなったものこの時期だ。ふざけやがって。
・個人的に最悪だったのが、川崎駅周辺のチェーン系飲食店でご飯を食べたら小さいネジがご飯に混ざっていたこと。更にイヤなのはお店に文句つけて面倒になったらどうしよう、ダルいことになったらどうしよう、と悪い想像が働きウンザリして何も言わずお金払って帰っちゃったこと。別にタダにしろって話でもないし、それで改善されるのかは知らんけれど、少なくともネジが入って嫌な気分になったよ、というその事実は伝えるべきだったと今は思う。


・2月にはなんらかの危機感から、Twitter以外のネットでの活動場所を模索していた。
・MOIW2023のライブを見てアイマスへの熱がちょっと再燃。なんだかんだ配信を3回か4回は繰り返しみていた。ライブ後に声優さんと同時視聴する放送(アーカイブなし)でメチャメチャぶっちゃけてたのがすごい良かったんだよな。
・ブルアカを始めてメインストーリーをちゃんと読んでいたのもこの時期。当時は普通に楽しく遊んでいたけれど、徐々に今使っている端末がすぐ熱くなって落ちるので、実は今はそこまで熱心にやれていない。


・3月。ひたすらコミックDAYSで『K2』を読んでいた月。まさかここでの大盛り上がりが年末まで持続していくとは思わなかった。
・この時期は仕事絡みで精神的に辛いことがあったのですが、『K2』を読んで人間の善性を信じることで乗り切った実感がある。ちょうど富永総合病院で一也と研修医達が色々と繰り広げる話を読んでいて、牧村先生が担当していた患者さんに亡くなられてしまう話で本当に泣いた。
・4回目のワクチンを打ったのもこの時期。5回目もそろそろ考えなきゃな。


・久々に4月にコミティア以外の同人誌即売会に行って楽しかった。22年末辺りから微妙にモチベーションを失っていたのが復活。
・会社の飲み会が復活してきたのもこの時期。3月にあった厳しいことの煽りを食って、色々と準備していたことが真っさらに戻ってしまい虚無な気分になっていたな。
・あとはひたすら『水星の魔女』を見ていた。


・5月はコミティアとスパコミと文フリ。スパコミがビッグサイトの東館2つをフルで2日間使用するという規模のデカさと、文フリでTRCに異常な列が出来ていた記憶が強い。
・あとceroの新譜がちょっとビックリするくらい凄かった。ちょうど出社日と発売日が被っていて、最初は普通にSpotifyで聞いていたのだけれど、使命感に駆られて会社帰りに久々に新宿のタワレコに行ったのだった。
open.spotify.com


・6月、近所の無人販売所で買った梅を使って梅シロップを作ったのですがこれも良かった。最初は梅酒を作ろうとしたけれど長期スパンで考えなきゃいけないのでシロップに転換したのはナイス判断。


・ただ、「シロップを作った後の梅を使ってジャムが作れる」という記述を信じて鍋に火をかけたら真っ黒に焼け焦げた物体が生まれて捨てるのにも難儀したのは最悪だった。
・同人誌の読み専が一同に会し自らのコレクションを披露しあう年に一度のパーティこと『よつばの。読書会』も楽しかった。2024年は20回開催ということで大変めでたい。
・家のPCが工場検査用テストモードなるものになって、全然起動しなくて焦ったのもこの時期。帰宅したらPCの画面が赤青緑に点滅していて本当に絶望的な気分に。一旦強制終了して電源コード外して5分~10分待ち、再度に電源をつけたらなんとか元に戻ったけど。その後特に同様の事象は発生していないけれど大丈夫なのか。


Twitterに大規模閲覧制限がかかったことで盛大に幕を上げた7月。幾ら移動場所を作ってもそこで活動していないと意味がないと知り、ブログの活動頻度を上げようと誓ったのもこの時期。言うほど動いてないけど。Threadsもさっそく作ったものの、あんまり治安が良くないので見なくなっちゃった。人が増えるとホッコリorスッキリ系の文章、あるいは愚痴ばかりが目立ってしまい、わざわざTwitter以外の場所で見たくはないな……。
・『君たちはどう生きるか』を公開初日に見に行った。キリコさんとヒミ様は明らかに宮崎駿の『萌え』が詰め込まれていて、80歳を超えていながらあそこまで自分の好きな造形を徹底できるのは普通に凄い。
・『春あかね高校定時制夜間部』最終話もこの時期か。しみじみと良い作品。
江東区の森下文化センターの『太田じろうの世界展』を見に行った。帰りに近所のCD屋さんを冷やかしたら、30年以上前のデッドストックの声優CDがあったので、ついついビビりながら買ってしまった。今思い出すとこの時期から信じられないくらい暑かったな。


・8月は夏コミに行って『ぽんぽこ24』を見て、自らの内に湧いた衝動を形にするために冬コミに応募したのでした。
・そして何故か同じ日に映画館で映画をハシゴするという行いを試み、『ローマの休日』と『バービー』を見たのだった。
・『ローマの休日』はそもそもラブコメだったんだ! という本当に初歩の気づきがあり、現代の「ラブコメ」のお約束の元ネタってこれか~と新鮮な気持ちに。
・『バービー』は一転原色バキバキの世界観。個人的には好ましく見られたけれど、作中で主人公のバービーが見た目に対するコンプレックスや偏見に囚われていて苦しかった心情を吐露するシーン(うろ覚え)で「マーゴット・ロビーがこんなこと言っても説得力ゼロである」みたいな天の声ツッコミがあって、アメリカにもちびまる子ちゃんキートン山田みたいなギャグってあるんだ!? って驚いた記憶ばかり残っている。


・9月はコミティアコミティアは大体毎回行ってるんだけれど、この時はいしいひさいち『ROCA』の原画展が本当にアツかった。
・あと色々見返すと仕事でヒーコラ言っていた。システムのテストをするのに初めて触るシステムから色々確認せにゃならんかったのでヒーコラ言ってたんだ。テスト自体は無事なんとかなったし、システムの知見を得られたので次はもっといい感じにやれるぜ! と思ったものの年明けから別のチームに異動になったのでその知見は特に私には不要になったのだった。ワハハ。
・後これは誰にも言ってなかったんだけれど、何故かこの時期(厳密には数ヶ月前から)集中的にFGOを進めて第二部をクリアしたんだった。しかしビックリするくらい感慨が湧かず、その後は結局放置してしまっている。


・10月初日はいきなり朝新幹線で大阪に行ってアイマスの即売会へ。その後高島屋資料館で展示を見たり古本屋に行ったり。また大阪に遊びに行きたいけれどビジネスホテルの値段が全然下がらねえのな。
国立西洋美術館の『キュビズム展』にも行った。常設展も見たので大分時間を使ったけれども楽しい展示だった。
・ぽんぽこさんの名曲『Bokeh』のリリースもこの時。刀ピークリスマスも最高だけれどこっちもバズって欲しいぜ。多分本人の本意ではないだろうけど。
www.youtube.com
・何故か急に思い立って家から新宿まで4時間近くかけて歩いたんだった。結局その後一度もロングウォークはしていないけれど、また暑くなる前にやりたいな。
・無印で買ったマサラチャイが美味しかったり、青春を過ごしたSHIBUYA TSUTAYAの閉店に心を痛めたり。有休をまとめて取ったので結構この月は遊んでたな。


・11月は『ちいかわ』島編が佳境を迎えたという点で歴史に名を残すかもしれない。
・ここで冬コミへの配置が決まり、色々と動き出したのだった。あまりにも見切り発車過ぎたのですが…。
・シャニソンがリリースされ、シャニマスに対する熱意が再燃したのもこの時期。アイマスの即売会に行って気持ちが盛り上がりもしたものの、最近は全然触ってないので反省…。今年はちゃんとコミュを読まないとと思ってはいるのだが。


・12月、ひたすら仕事して調べて調べて調べてで無理くり冬コミのコピー本を作り出していたのだった。
・あと『窓ぎわのトットちゃん』を見てガッツリ食らったり。
・初めて冬コミでサークル参加。ちゃんと製本したバージョンはこれから……頑張る……。
・しかしサークル参加というものは楽しいもので、今後はもっと色んなイベントに出てみたいぜ。

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・いきなり年明けから気が滅入ることが起こっておりますが、それはそれとして今年も頑張るぞ、という思いで一つ。
・ここ数年はずっと「フットワークを軽く」ということをモットーにしていたのですが、その辺はある程度達成できているのでもう少し別軸というか新たな目標を掲げないとなという思いもあったり。まぁそれはおいおい。
・今年もよろしくお願いいたします。

20231216_映画泥棒は君に走りかける

・映画窓ぎわのトットちゃんを見ました。
tottochan-movie.jp

黒柳徹子のアレでしょ。ベストセラーの。タイトルは聞いたことあるッス。なんか実家の本棚にあったような気もするな~。読んだことはないけど、幼少期の学校の話っすよね。ちょっと面白い学校に行ってた的な……。あ、アニメ化するんすね。なんかキャラデザ特徴的で面白いっすね。


・↑くらいのテンションだったんですよ。先月末くらいまで。何度か映画館の予告で見て、それこそこないだ見た『ゲゲ謎』でも予告がやっていて、色々動いて色彩豊かだな~くらいの感じで、別に劇場で見る気は全然なくて。


・そしたら妙にTL(今もこの言い方で合ってるのか?)で各方面から妙に絶賛の声が高く、そんなら見に行ってみるかと思い行ってきました。今日。


・いつも元気なトットちゃん。気になったことはとにかく見て触れてみないと気が済まない性格。あまりの落ち着きのなさから小学校の先生にも「面倒を見切れない」と匙を投げられてしまう。辿り着いた先は東京・自由ヶ丘にあるトモエ学園。校長である小林先生との長いお話の末、トットちゃんは学園に入学することに。小児マヒを抱えた泰明くんとの出会い。過ぎ行く季節の中で遊びに学びに楽しむ生徒たち。しかし戦争の足音は否応なく彼らの生活にも影を落とす……。


・戦争の足音は否応なく彼らの生活にも影を落とす……。←マジでイヤすぎる!!!!!


・と、思わされるくらいには物凄く、しかし一言ではいい表せないので以下に書き殴ります。なるべく根本的なネタバレはないように書いておりますが別にそういう作品じゃないし、40年以上前の原作にネタバレもないと思いますが……。

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・まず最初に目を引くのが1940年春先の自由ヶ丘駅周辺を描いた美術の美麗さ。その中を縦横無尽に駆け巡るトットちゃんのエネルギー。建物、看板、内装、小物と、恐らく半端ない労力をかけて細かい部分まで時代考証をして、また子どもの動きを徹底的に見つめた上で、あまりにも落ち着きがなくて危なっかしい動きっぷりを描いている。平気で危ないことするよな~という意味で、見ていてヒヤっとさせられるシーンが幾つもある。


・また、トットちゃんや子どもたちのイマジネーションの奔流がアニメーションとしての形となって描かれるシーン。全編を覆う絵柄とは異なる形で描かれるそれらは、劇場のデカいスクリーンで見るのに相応しく、特に最初の電車の教室でトットちゃんが繰り広げる空想のシーンなんかは「志が……高い!!!」という印象が一番に出てしまった。アートアニメーション的な印象が強くもあり、それを差し置いても非常に楽しく気持ちよいシーンなのですが。『ちびまる子ちゃん 私の好きな歌』を引き合いに出した感想を見たけれど、なんか分かる。


・常に紅を差した、あるいは赤みがかったキャラデザも最初は中々強烈でありながら違和感がなくなっていく……というよりは、戦争が始まるに従って色味が失せていく(街並みもうら寂しくなっていく)ような工夫がなされているようで、そういった意味では全編トットちゃんからの視点であることが貫かれているのかなと。この辺はもう一度見直したい……。なるべく説明しない、演技で語らせる作りも上品。

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・上品ということで言うと、徹頭徹尾上流階級の生活が描かれているんですよね。トットちゃんのお父さんはオーケストラ(現在のN響)のコンマスを務めるヴァイオリニスト。トットちゃんも自身も指揮者であるローゼンシュトックらに可愛がられている。
ja.wikipedia.org


大井町線北千束にある黒柳家もアホみたいにデカい(パンフレット見ると本編ではよく分からなかったけれどでっけえ庭が幾つもと温室まである!)上に、ガスコンロ、冷蔵庫、なんかすごい形のトースターまで備えている。1940年代にここまで西洋的な家が果たして日本に何軒あったのか。友だちの泰明くんの家も田園調布にお屋敷を構えており、こちらは日本家屋のようだけれど、デカい書斎と浴室がある。


・そもそもトモエ学園のような場所に子供を通わせる余裕がある人がどれだけ限られていたかとを思うと、学園近所の汚ったねえ洟垂れ小僧どもがトットちゃんたちを揶揄う(服装の違いがもうね……)のも、あるいは銀座に家族でお出かけしたトットちゃんたちが、憲兵に国民精神総動員の風潮にかこつけて「服装が派手である」と絡まれるのも、現代庶民の視点から見るとどこかで理解できてしまう。本当に心底嫌なことだけれど。


・話は変わるけれど小児マヒを抱えた泰明くんが電車で家に帰っているシーンがあまりにも切なくて、というのも学園のある自由ヶ丘と田園調布って東横線で一駅しか離れていないわけですよ。彼は本を読むのが大好きな子どもであると描かれているけれど、彼が実際に自分の目で見ることが出来た世界は電車一駅分であった、ということを思うと本当にやるせない気分になってしまう。だからこそトットちゃんとの木登りのシーンの「後」で泣いてしまうわけですが。


・話を戻すと限られた子どもたちに対してしか教育を施すことが出来なかったということは別に小林先生の落ち度でもなんでもない。むしろ、既存の教育制度に対してのカウンターであったからこそ、リトミック教育を始め先進的な試みに取り組むことが出来たのであろうことは間違いない。しかし、そういう中にも否応なく戦争の影が忍び寄ることのイヤさ。


・「戦い」でいうと、上にも書いた近所の洟垂れ小僧連にトットちゃんが機転を利かせ、イヤな囃し歌を歌い返して追い返す場面。痛快な場面でありつつ、小林先生の震える後ろ姿が何を示しているかがあえて明示されていないのも好きなんですよね。子どもたちのやり取りに笑っているとも取れるし、暴力に訴えることなく乱暴者たちを追い返したことに咽び泣いているとも取れる。それは戦争が近づくにつれて、あるいはそうした日常の裏側に存在している「死」が色濃くなっていく後半の描写と裏表となっている。


・出征兵士たちの行進の中をトットちゃんが走り抜けるシーン。疎開で学校を閉める中、教室で1人になった小林先生の慟哭と貼られたお絵描き。生活がひたひたと侵されていくことの根本的な嫌さが特に映画の後半では溢れていたように感じる。しかもまた色んな種類のやるせなさが打ち出されてくるんだからたまったもんじゃない。

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・たまたま最近、江藤淳蓮實重彦の対談集『オールド・ファッション 普通の会話』という本を読んでいまして。


・色々と読みどころがあるので本自体の感想は別の所で書きたいな~と思うのですがその中の一節に、2人の原風景として幼少期の生活の豊かさを懐かしむ場面があることを映画を見ている時に思い出したのです。調べてみると、江藤淳が1932年生まれの新宿育ち、蓮實重彦が1936年生まれの六本木育ち。我らがトットちゃんが1933年生まれなので、大体同じ小学校の建物に収まる学年。地理的・生活史的な差異はあれど、東京在住のアッパークラスとして見てきた景色はかなり近しいものだったのではないかと想像が出来る。

蓮實「文化的な生活水準その他とは別に、芸術的な、映画の場合だったらほとんど、誰も芸術だと思って見ていたわけじゃないでしょうけれども、いま見てみると、まさかと思われるようなすごいことが行われている。それはことによると、そういう歴史的な一時期の、郊外電車が延びていくところですね、そういうものを東京の都会のブルジョワジーが、満喫している一種の切ない喜びの表現だったんじゃないかなということを考えますね。」

江藤淳蓮實重彦『オールド・ファッション 普通の会話』(講談社文芸文庫 p112)

・江藤、蓮實共に本当の豊かさは戦前にこそあったということを懐かし気に語り、それは80年代当時の世相に対する皮肉を込めていることは前提でありつつ、現代から見たら戦前の暗い時代が、彼らにとっては明るく豊かな時代であったということは、実感ベースとしては確かなんだろうと思う。勿論、そんな生活が出来た人間は当時本当に僅かな数しかいないわけで、何を気楽なこと言ってやがると批判することは出来る。しかし一方で、その「豊かさ」を作っていた側の人間もいるわけで、そういう人としての凄みを小林先生に感じるわけです。


・ラストシーン間近、空襲で燃え盛るトモエ学園を背に「今度はどんな学校を作ろうか?」と囁く小林先生の凄み。終始優しく、しかし教育者として芯の通った人間であった先生が最後に見せる得体の知れなさと傑物っぷり。ある種のノスタルジーと共に思い出されるような「豊かさ」を作り上げた大人が本当に肚の底から覚悟が決まっているということに、大人(教育者)としての迫力を感じて本当に好きなシーンです。

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・とまぁ色々書いたけれど、まだまだ飲み込めていない部分も多いのでもう一回はみたいな~。ゲ謎見た時も同じこと書いたけれど。良いシーン、本当に沢山あるのでしっかりと味わい尽くしたいです。

20231202_ヤモリと妖怪とカニ

・帰宅したらキッチンの隙間から小さな脚と尻尾がチラ見していて思わず叫んでしまった。遂に住み慣れた我が家にネズミが出たかと瞬間的に脳内で想像が膨らみまぁまぁ絶望的な気持ちになったけれど、よくよく見たらまだ体表が白いヤモリだった。換気で窓を開けた時にでも忍び込んだのか。

 

・しかし誇張抜きに実際に叫んだのだけれど、映画やアニメのような悲鳴ではなく、無感情な大声で「ワー!」と叫んだ感じだったのは我ながらマヌケで良かった。良かったか?流石にキッチンの中で死なれては寝覚めが悪いし、どっか変な所を齧られても困るので何とか外に出してやり、結局野外に逃してやった。

 

・ヤモリは「家守」に通じ家に福運を運ぶと言われているらしく、なるほど私のようなラッキーボーイにゃ相応しいぜと思いつつ、やはり幸福は自らの手で掴むもの。若いお前は広い世界で生きてこい! と見送ったものの、凍え死んだり野鳥やタヌキのエサにでもなったらどうしよう……と勝手に思い悩みもしている。自然は厳しい。

 

・しかし実際こんな冬真っただ中に末に変温動物が動いてられるのかねと思ったけれど、今年は11月頭なんて冷房かけられるくらい暖かかったし、ちょっと調べたらヤモリは冬眠をしないようで。

hachuarium.com

 

・本当に一瞬家で飼うことも頭をよぎったけれど流石にそんなスペースはなく、家の中で放し飼いにすることも出来ないし、エサにワームみたいな虫を買うのもゾッとしないので、結果的に野に放つのが正解だったんだと思う。ゲーミングPCみてえなでっけえアクアリウムに緑を植えて、その中で爬虫類を買うのに少しだけ憧れるけれど多分死ぬほど面倒くさいし電気代もエラいことになりそう。

 

・小学生の頃、近所でカナヘビを捕まえてガチャガチャのケースに入れて、オレのポケモンじゃいと遊んでいたら、案の定ケースの中で衰弱死してしまったことがある。幼いながらもなんてことをしてしまったのだ……と後悔し、泣きながら家の狭い庭を掘ってカナヘビの死体を埋めた。今まで云十年生きてきて、あれほど心から後悔して泣いたことは今の所ない気がする。今後それを越えることなど起こって欲しくないけれど。

 

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ゲゲゲの鬼太郎の映画を見に行ってきた。面白かった。父さんの声が関智一でビビったけれど、目玉のおやじ(6期)の声は野沢雅子なので、まぁ強さ的にに対して姿形がナーフされてどっこいどっこいかもしれない。

www.kitaro-tanjo.com

・因習渦巻く村で引き起こされる事件、というネタを手堅くヒロイックホラーにまとめているという感じがあり、若い人が初めて見るちょっとグロテスクな表現の入門編的な意識もあるのかなと思った。PG12だし。気持ちグロいっちゃあグロい表現もあるけれど、絵がポップなのでエグすぎはしないバランス感覚。

 

・大枠の精神性として戦争、ひいてはそれを起こす権力に対する嫌悪感というものが静かに漲っており、『総員特攻せよ!』が読みたくなって帰りに3軒本屋さんを周ってしまった。調布の本屋さんは水木しげるつげ義春のコーナーは1棚常に揃えておいて欲しい(ワガママ)

 

・しかし自分が小さい頃にこうした物語に忍び込んだ反戦的なメッセージを受け止めたらなんとな~くケッと思って流してしまった気もする。大人になって見るとどこか感じ入るのは歳を取った故か。

 

・それと読み解こうと思えば色んなことを読み解ける構造もあるかもしれない。血液銀行で働く戦争帰りの男の内にある野心。謎の力を生む秘薬の正体。「八墓村」オマージュな遺言執行シーン。人と妖怪の境とは……などなど。勿論、鬼太郎エピソードゼロとして楽しめるけれど、なるほど周辺知識があると色んな想像が出来るというね。

 

・後はもう水木と鬼太郎の父(目玉おやじ)とのやり取り。「それでもなお私を友と呼んでくれるのか」という関係よ。片方既婚者なんだけど、それ故に成り立っている思いの交わり。関係性でいうと、石田彰演じる糸目の男(マジで何!??)と一族の長女の人とのアレコレとかね。

 

・マンガ版『鬼太郎の誕生』を見ておくといいけれど、そこに因んだ小ネタがあるという感じなので本編の理解ができねーぜ! という話でもないので別に読まなくてもいい。けどそんな長い話じゃないから読んで欲しい。タダだし。

comic-days.com

 

・↑父さんのサムネを見るだけでもホロっときちゃう。

 

・そんなこんなで『総員玉砕せよ!』を読みだしたけれど、水木しげるの絵はやっぱりどデカい版型で読みたいぜ! という気持ちも湧いてくる。

 

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・たまたま都会に出たのでちょいと奮発したろうと成城石井で細々としたモノを買ったのだけれど、お昼のオカズに買ったカニクリームコロッケ(3つで400円!)が赤ズワイガニを入れているという代物で、美味しいのは間違いないけれどカニクリームコロッケに対しては過剰な美味しさで少し引いた。

20231125_本ばかり部屋に溜まっていく

東京都現代美術館で開催されているTOKYO ART BOOK FAIRに行ってきた。
tokyoartbookfair.com

・日本のみならず世界各国からアートブックやZINEを作成する人々・出版社が集まるブックフェア。ジャンルは不定形ながら、マンガや文芸よりも画集、写真集やイラストなどアート方面に特化。大雑把にいうと商業出版されていない製作物がメインという印象。大量印刷ではなく、1点モノであることに価値や重きを置いた本が多かったような。

・幾つか欲しいモノがあって行ったのですが、一番の目当ては「歯のマンガ」さんの新刊『ハーフライナー』。メッチャ良かった。

・参加されている方々の傾向は様々ですが、ブックフェアという性質のためか、海外の方が結構多かった。色々興味深い本(ポーランドかどこかで作られたフォントの解説本とか)(買ったとてどうする……)も多かったのですが、コミティアなんかも控えているので出来る限り出費は控えめに。

・しかし円安の影響もあるやもしれないけれど、特に海外から出店されている方々が作られた本はかなり高値だったので、個人的に結構ビビった。1冊数千円からスタートするというか、基本的な頒布額の基準が違うというか。まぁ1点ものなんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。この辺の感覚は日本のいわゆる「同人誌」とはちょっと違うかもしれない。

・ほかに大きな特徴として、結構な数の出展者さんがクレジットカードやpaypayなどキャッシュレス決済の仕組みを導入していて、個人的に新鮮かつ頼もしかったです。とはいえ、人が多いと通信の問題が多く上手くいかないこともあったよう。狭いとこにギュッと人が集まってるというの構造は如何ともしがたいですが。そう考えるとコミケなんかでみんなが電子決済を取り入れるのもまだ厳しいのかな~と思ったり。ふた昔くらい前は「携帯の電波が通じると思ってはいけない」なんて言われていた記憶もあるけれど、ビッグサイトにはその辺頑張って欲しい。ビッグサイトが頑張る話なのか? そもそも人が多いから電波が通じにくいという理屈も正しいのか。なんもわからん。

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・その後は神田でやっている、イラストレーター・めばちさんの個展『白黒の夢(モノクローム)』へ。
space-caiman.com

・展示のメインは『百合姫』で1年間掲載されたの表紙の絵と、今回の個展のために描き下ろされた海辺の女の子の絵が5点。いや~良かった。展示会場自体はギュッとコンパクトで展示されている絵も限られていたのですが、じっくりと眺めていられる絵と空間。

・ギャラリーでの個展ということもあり展示物はいずれも値付けがされていたのですが、既に全て売約済となっていてこちらも驚き。水張りのキャンバスなんか8万円近くするけれど、部屋に1つあったらなんか良いだろうな~と思ったり。いつかこういうアートを部屋に飾れる人間になりたいね。

・5点の絵の女の子は会場チケットと併せてランダムで配布されるシールやグッズなどにもなっているのですが、私が貰ったシールに描かれた椅子に座る女の子のなんとも言えない表情が最高過ぎて、思わずアクスタも買ってしまった。マジでいつまでも見ていられる。

・今考えるとケチケチせずに5種類全部買えばよかった気にもなるけれど、そもそも本ばかり部屋に溜まっている状態で更にアクスタを増やすのには二の足を踏んでしまう。別に積極的に収集する気はさらさらないのにも関わらず、知らぬ間に色んなジャンルのアクスタがジワジワと部屋の中に増えている。さながらテトリスを埋めるかの如く本棚の隙間なんかに置いてはいるものの、掃除の時に手間になってしまうんだよな。ホコリも溜まるし。本も出しにくくなるし。

・まぁそれなりに上手いことやっていくしかない。良きにつけ悪しきにつけ。

20231119_冷房装置の夏が行くと暖房装置の冬が来た

・気を抜くとすーぐ1ヶ月が経ってしまってやんなっちゃうね。先月どころか2週間前くらいまでは全然暖かかったのに、今じゃ冷房をつけないと途端に部屋にいるのも耐え難くなってしまう。

・今年は金木犀が咲いている時期もまだ微妙に暖かくて、11月に入ってまた暑くなって(何故?)、今度は一気に気温が下がってジャケットやコートがないととても活動が出来ない。いそいそと出したヒートテックも季節を超えて変色してるので買い換えないといけない。参っちゃうね。

・これは今年特有なのか加齢のせいなのか分からないけれど、空気の乾燥が非常に強い気がする。去年辺りからから洗顔してヒゲを剃った後は顔に化粧水と保湿クリームを塗りたくり、最低限の美容に気をつかってるぜ感を自分の中で出していたのだけれど、ここ最近は普通に顔が乾燥して痛いのなんの。気を使うとか二の次で、日常生活に支障が出ないように化粧水と保湿クリーム、それに加えてリップクリームを塗りたくるというゲームチェンジが起こってしまった。

・10代の頃は寒くなるとあかぎれ(皸←こんな字書くんだ)がよく起こって鉛筆を持つのも苦痛だったことを思い出す。年齢を重ねていつの間に出来なくなったけれど、別に懐かしい、もう一度味わいたい、とは全然思わない。

・毎年急に寒くなると、冬季うつというかイマイチ気分がスッキリしない状態になるのだけれど、特に今年は年明けから異動が宣告されているため、若干気分がナーバスになっている部分がある。直接の上司になるかは分からん人がどうもパワハラの気がある人なので、変に目を付けられないか……とか。今から気を揉んでもしゃーないことではあるんだけれど。

・毎回こういう話をすると身体を動かして体力をつけるしかねーぜ! って結論になるんだけれど、今さっきスニーカーを見たら靴底がおもっくそ削れていることに気づき、近い内買い換えないとな~とまた溜息を1つついてしまった。

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・先週は文フリ今日はISF11/SSF05と、2週連続で東京流通センター(TRC)に行った。どちらも盛況で何より。

・ただ、浜松町からモノレールに乗るか、平和島からバスで行くか(頑張りゃ歩けるけど)しかないので行くのが億劫だな~という気分になってしまうのが玉に瑕。ご飯を食べたくなっても一度会場を離れるか、会場内のローソンかドトール、モノレール駅下の立ち蕎麦しか選択肢がないし。

同人誌即売会と言えばご多分に漏れずビッグサイトに一番頻繁に足を運ぶわけですが、東館の奥にデカデカと看板が掲げられている「香港飲茶楼」と会議棟の一番上にある高めのイタリアンのお店「アルポルト」が気になるけれど結局一度も足を踏み入れたことがない。そんなことより本を買うのに夢中だからね。

・特にアルポルトはディナーもやっているようなので、そのためだけにビッグサイトに行くのもありっちゃありなのでは!? と思う。でも私が知らないだけで、コミケの後にここで打ち上げやっている人もいるのかしら。年末年始に営業してるのかは分かりませんが。

・現在は東展示棟の工事の影響で、11月後半くらいまで閉まってるみたいです。
tabelog.com

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・『シャニソン』のリリースに伴い私もご多分に漏れず毎日ポチポチ遊んでいるのですが、ここ数年振りにシャニマスへの熱が再燃している。
shinycolors-song-for-prism.idolmaster-official.jp

・SHHisが実装された辺りまではそれなりに追っていたのだけれど、日々の忙しさやら何やらにかまけている内にすっかり触らなくなってしまった。

・と、いいつつ二次創作は読んでいるという世が世なら石を投げつけられても仕方ないオタク仕草をかましているのですが、やはり本編を補完しているような、あるいは前提となっているような面白い作品を読むと、やはりキチンと向かい合わないとな~という気分になる。ちゃんと天井社長~七草家~SHHis周りの話をじっくりと味わいたい。

Twitter(現・X)のタイムラインなんかをアホ面で眺めている時間があれば、少なくともソシャゲのシナリオでも読んでいた方が絶対に有意義ではあるんだよな。マンガとか小説とかでも良いけど。

・まぁシャニマスの場合、そのシナリオを読むために労力がいるわけですが……(時々読み放題キャンペーンなんかもやってるけどね)。

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・そういえばコミケに受かっていたので、こちらも準備を進めないといけない……どこまで出来るかどうかは分からんまでも、何らかの形にはしたいですね。

・そのためにはTwitter(現・X)なんぞ見ていないで、調べること、読むべきことを進めないといけないですね。はい。

20231011_歩こう歩こう I'm fine thank you

www.youtube.com

・思い立ったので急に川崎市の自宅から4時間かけて新宿駅まで歩いてみた。google mapの経路検索で約19kmの道のりを約4時間かけて歩いたので、私の時速は4.75kmということになります。

・基本的にgoogleが指し示す経路に従って歩き、途中コンビニに寄ったりパチ屋のお手洗いで用を足したりなどの時間はあったものの、ナビの想定(4時間半弱)より早くクリア。

・とはいえ普通に疲れたので、新宿でちょっと買い物……なんて気分にはなれずそのまま電車に乗って真っ直ぐ帰宅。普通に帰宅ラッシュに巻き込まれました。

・以下、学びと今後に向けてのメモ。

学び

・少なくとも4時間歩いて問題ない体力があるということが分かった。ダイエット目的で去年頃から不真面目なペースではありつつウォーキングを続けており、それなりに血肉になっているのだなという印象。

・体力的に限界というほどではないけれど、足の痛みが少々気になる感じに。調子にのって歩き続けていたら靴擦れが悪化していたかも。ありがとうニューバランス

google mapは細くて狭い道や横断歩道を考慮しないヤバ経路を平気でオススメしてくるので、実際歩いて厳しいと感じた場合は自転車や車のルートに切り替えた方がいい。もう少し現実的なルートになる。こともある。この辺AIクンはまだまだ融通が利かない。

・効率的な道を指示しているけれど、大きな幹線道路に出るまでは住宅街の中を歩かされる場合も多い。歩道がないか、あってもやたらと細い場合もあるので、そこは普通に気を付けた方がいい。

・より大きな学びとしては、新宿・自宅間を歩く選択肢を自分の中に作れたこと。『呪術廻戦』で虎杖悠仁が「人を殺したら自分の中に「人を殺す」という選択肢が生まれてしまう」と言っていましたが、よりポジティブなパターンですね。多分もっといい例えがある。例えば酒飲んで新宿で終電を逃した場合、タクシーで帰る、始発まで待つしか選択肢がなかった所に、歩いて帰るという選択肢をポップアップさせることが出来るようになった。

・実際は酒飲んだ状態で4時間も暗い道を、しかも場所によっては明かりの少ない住宅街を歩けくのは相当難しいので全然現実的ではないのですが、それでも自分の中に何らかの手段、あるいはイメージではなく、現実に即して考える要素が増えたのが嬉しい。自宅まで歩かなくても、ある場所までは歩いて時間を過ごす……といった方策を考えられるわけで。

今後に向けて

・ウォーキングに特化したアプリを入れた方が良い(そこから!?)。歩数を計測するだけなら睡眠時間計測アプリ等でも取得できるけれど、リアルタイムで取れるようなヤツ。スマホに入れるよりもスマートウォッチとか身に着ける器具に入れた方がその辺は確実な気がする。

・今回ずっと歩いている最中、地図アプリを起動+YouTube月ノ美兎の雑談や「ありっちゃありスパーク」を聞いていたのですが、当たり前にスマホの電池が減ってくる。常に充電できる環境、要は無線型イヤホンを買った方が良い。高校生すらairpodsを持っている時代に、頑なに有線イヤホンを使っている自分が悪いのですが……(単に買い替えるのが面倒)。ちなみに今回は特に問題なかったけれど、半日以上など長時間歩く場合はモバイルバッテリーの複数台持ちも必要かも。その辺は規模感次第ですね。

・ウォーキング用の負担が少ない靴があった方がいい。普段から小さい規模で足の皮膚と靴との摩擦が起こっていて、大して距離を歩かない場合は問題にならずとも、長時間歩くと問題が顕在化してしまう。サイズ感もそうだし、足の裏が疲れないクッション性なんかも重要なんだろうな。

・急に話が変わりますが、かつて3.11が起こった時。当時都内で大学生をしていたのですが、交通機関が完全にマヒしていた中、大学から歩いて実家まで帰ったんですよね。本当はやっちゃダメなんですが。

・歩いた距離を確認すると今日歩いたそれと大きな差はないのですが、当時は後半足がメチャメチャに痛くて、今思うと上履きみたいなコンバースで歩いていたことが原因かなと。運動神経や身体の軽さは当時の方が明らかに優れていたけれど、靴ってその辺露骨に身体に影響を及ぼすのかも。

・当たり前だけれど真夏のクソ暑い時期にはこんなことはできなくて、でもこれから陽が短くなる一方なので、どの時間にどこにいることになりそうか、というのはザックリでも考えた方がいい。暗くなる頃に大通り沿いにいるのか、それとも歩道のない住宅街にいるのかによって動きようが大きく変わってしまうので……。

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あんまり撮っていないけれど写真を幾つか。暗くなると撮れない&撮る気が起こらなくなってしまう。

メガネストアーの上にいる安全運転を呼びかけるゴリラ。


版画的な勢いがある。

20231007_キュビズム展に行ってきた話

国立西洋美術館で開催されている「キュビズム展」に行ってきました。
cubisme.exhn.jp

セザンヌから始まり、ピカソとブラックが始めた絵画におけるキュビズムの試み。若く野心的な作家の間に広がり、賛否両論を呼び、第一次大戦を経て更なるムーブメントへと繋がるまでの20年に満たない期間の記録。見ていてかなり面白かったけれど、絵画として理解したかと言われると多分10%も理解できていなくて、どちらかというとデザイン的に見て面白え~という見方をしてしまった気もする。別にデザインに対する造詣も欠片もないのですが……。

ピカソやブラックはモチーフにギターやバイオリンを取り上げることが多いけれど、これがもう、マージに抽象的で全然分からない。物事を写真のようにそのまま描くのではなく、多面的に捉え、そこで得た理解を1枚の絵の中に表現しようという試み。そう言われると一瞬だけなるほどね~という気分にはなる。けれど、いや結局よく分かんねえな……となってしまう。逆に(?)デザイン的な格好良さとして切り替えてみると、うお~カッコええ~と思えてくる。

・中盤頃からメインビジュアルにも使われているロベール・ドローネーの「パリ市」や、その妻ソニア・ドローネーの「バル・ビュリエ」など、抽象と具象の間、あるいは色合い等々で時間の変化を表そうとする試行錯誤が出てきて、抽象度は変わらないまでも色んなバリエーションが出てきて新鮮に面白く感じる。ダンスホールの中、色とりどりの光で表された人々の影なんか見ていると、「抽象と具象のギリギリの間を目指そうとしていた」(うろ覚え)という『岸部露伴は動かない 六壁坂』の台詞を思い出してなんかグッとくる。今回は展示されていないけれど、『六壁坂』で一文無しになった露伴が唯一持っていた画集の作者二コラ・ド・スタールも、ブラックやレジェといったキュビズムの作家と親交があったようなので、その辺通底しているのかもしれない。

・音声ガイドのメインが三木眞一郎なんですが、メチャメチャ良い声で耳元で囁いてくれるぞ!

・ちなみにその後常設展も見たのですが、そちらは16世紀の宗教画から印象派を通じて最後は晩年のピカソに行くという構成なので、こっち先に見てからの方が絵画の歴史を直線的に見られるので良いのかも。金曜土曜は20時までやっているようなので、午後くらいに行って常設展からガッツリ見るのも贅沢かも。

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・その後、向かいにある東京文化会館のカフェで一服。室内席はホールのホワイエと繋がっており、ボケっと眺めながらコーヒーを飲む。ああいうホールにスーツをめかし込んでクラシックを聴きに行き、合間の休憩時間でホールでシャンパンを飲んだらさぞ優雅で楽しかろうなと思った。なんて貧相なイメージなんだ。

東京文化会館は10年近く前に人から誘われてラテンビッグバンドの演奏を見に行ったことがあるのだけれど、誘った人が当日急に行けなくなり、代わりの人を呼んだから一緒に行って! と言われてマジで初対面の人と一緒に演奏を見た記憶がある。お互い気まずく、初対面の人も演奏が終わって速攻で帰ってしまったこと(そりゃそうだ)と、2階席の角度が急で怖いな~と思ったことだけ覚えてる。演奏のことを覚えとけよ。

・20代前半、当時つるんでいた人の繋がりで、ちょっと変わった人たちと関わることがあった。ライブに誘ってくれた人もその中の1人で、全体的に皆裕福な育ちで、それでいて余暇は変わったことをしている、みたいなノリの人たち。それなりに可愛がって貰ってはいたけれど、空気感が合わずに大分前に関係を絶ってしまった。その後何をしているのかは分からないけれど、ライブに誘ってくれた人はフランスだか何処だかに生活拠点を変えたことをfacebookで見て、それを最後に連絡も取らなくなってしまった。

・今もその輪の中にいたらもう少し何か変わったかもしれんな~と思う一方、そうしていた自分というのもあまり想像がつかないので、結局はなるようにしかならんのだろうな。


・唯一撮った写真。最近の美術館は写真撮影の展示が多いけれど、私は未だその辺の感覚がロートルなのでパシャパシャやられるとちょっと気になっちゃうところも正直あるぜ。実際は全然いいんだけどね。