犬の帰宅

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COMITIA114新刊感想/はいあかむらさき『東京発9時32分 かがやき507号 金沢行き』

COMITIA114新刊/東京発9時32分かがやき507号金沢行 by 土岐つばめ on pixiv


三十路半ばのハロオタの男2人。
飲み会での会話の流れから、2人で金沢旅行に出掛けることに。
現地の名所や名産をひたすら楽しむ、一泊二日の小旅行記。

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はいあかむらさきさんのコミティア114新刊、「東京発9時32分 かがやき507号 金沢行き」を読みました。タイトルの通り、男性2人が新幹線に乗って金沢へ向かい、観光するというお話。
それだけなのに異様に面白いという一作です。

例えば、牡蠣やウニの食べ歩きや、カフェの甘味や、ホテルの夕ごはん。
例えば、金沢駅のデカさや、お茶屋さんの瀟洒な内装や、兼六園の眺望。
それら1つ1つを全力で楽しんでいる姿に、読んでいる側まで楽しくなってくる。

「良さ」を感じる内にも、色々な感情や心の動きがあります。
歴史を感じる茶屋町の風情にしんみり感じ入ったり、
駅前の噴水時計にエラいツボに入ったり、
史跡や城跡が今の時代にまで残っていることを冷静に考えてみたり。
観光であれ何であれ、色んな「良いな」があるわけですが、それぞれに対しての感情や表情の描き分けが、非常に丁寧なのもまた魅力的。

一方、男2人という状況から、まさかカップルに間違われているんじゃあるまいかと、お店の人の一言に若干過敏になったり。
はたまた旅館でつんく♂の病気の報道についてハロヲタ故の視点から独りごちてみたり。
とにかく色んなものに対して色々思っては仲良くくっちゃべっている。
歳相応の落ち着きもどっかにありつつも、全力ではしゃいじゃうという関係性が羨ましくも楽しい。

単純に金沢に行ってみたい!という想いがモリモリ湧く観光ガイドとしてもとても楽しいし、男2人のなんとも言えない関係性とワチャワチャした会話を眺めているんでも楽しい。
そんな盛りだくさんかつ贅沢な一作です。

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COMIC ZINにて既刊も含めて発売中です。
過去作では「蛇」なんかも全然テイストは異なりますが、とても熱い作品なのでオススメです。

COMITIA114新刊感想/panpanya『猯』

山で山菜を取っていたある日のこと。
足を怪我した動物を助けた「私」は、助けた動物『猯』に懐かれてしまう。

幾度山に戻しても、次の日には帰ってくる動物たち。
彼らをどうにか山に戻すために、「私」と保健所の男は手を変え品を変え対策するが…。

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panpanyaさんのコミティア114新刊、「猯」を読みました。

いつもの少女。いつもの謎動物。いつもの潜水艦男。安心感すらある(ホントかよ)相変わらずの描き込みと、キャラクターの異様なシンプルさ。2011年頃に描かれた作品だそうですが、唯一無二の雰囲気とインパクトは完全に自家薬籠中といった感じ。

ある意味いつも通りのpanpanya作品とも言えますが、今作の魅力は醒めたようで、やたらとメチャメチャな異様なテンション。
家中を埋め尽くす猯や、動物捨て機を始めとする謎道具。
そして、夜の住宅街を舞台に繰り広げられるクライマックスシーン。
さながら白昼夢のような読後感に満ちています。

舞台は真夜中、かつ混沌に満ちたシーンにも関わらず、なんだか落ち着いたような感じ。
悲壮感は皆無で、どこか軽妙というかコミカルな印象を受けるのも、魅力の一つというか。

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黒丸の目に棒線の口で描かれる、謎生物こと猯。
他の作品でも姿を変えて(イルカやカエルや)出てくるのですが、今回はいつもにも増して可愛く見えるのも不思議です。
何を考えてるか分からない表情にも関わらず、やたら分かりやすい動きのせいか。
そんなに口を開かないにも関わらず、何かを小声で叫んでるような描写のせいか。
その辺りも妙にツボにハマる一作。

楽園web増刊の方では、本作の発展形である「狢」も読めます。
合わせて読むとまた色々と面白いかと。
COMIC ZINのサイトでは通販もやっているそうです。

「枕魚」~何処にも行けない/存在しないあの場所へ~

枕魚 (書籍扱い楽園コミックス)

枕魚 (書籍扱い楽園コミックス)


東横線は4本存在するという都市伝説
雨の日に出会ったカエル
見捨てられた新宿最古の地下空間
鶴見港で水揚げされる謎の物体…

奇妙な既視感と空想に溢れた風景を、イイ感じの描線で描かれるキャラクターが彷徨する、22編の短篇集。

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panpanya先生の短篇集「枕魚」を読みました。
「足摺り水族館」「蟹に誘われて」に続く3冊目の単行本ですが、どこから読んでも全く問題ない作品群。常に共通しているのは、妙な陰鬱さと奇妙にあっけらかんとした明るさ、そして何とも言いがたい郷愁に満ちた世界感。

panpanya先生の絵の大きな・かつ唯一無二の特徴は、「枕魚」の表紙絵でも分かる通り、異様に描き込まれた背景と妙にシンプルなキャラクターの妙にあります。
その黒さ故か、いつも曇天のように見える住宅街。
読み手の記憶の片隅にある(気がする)何かの看板。
そんな風景に唐突い挟み込まれる謎の物体。

主人公のボブカットの女の子は、どの作品でも共通した顔。
作品によって主人公の友人や上司だったりする、やっぱり大体同じ顔をした犬やイルカや潜水艦頭の男。彼女も彼らも同じ顔をしているけれども、ほとんど名が明かされることはありません。

多くの作品で目立つのは、主人公の女の子が歩いているシーン。作品にもよりますが、住宅街を、通学路を、地下街を、てくてく歩いているシーンがとても多いです。学校の帰り道だったり、何かを探していたり、ただの散歩だったり、そもそも目的なんかなかったり…。
女の子が歩いているその世界は先にも書いた通り、読み手の世界とどこか既視感があります。けれども、気づいたら時間と空間を飛び越えている。塗りつぶされた過去の世界であったり、本当に存在するのかも怪しい異世界。どこかで見たような、見たことないような。そもそも本当に見たことがあるのか。ないのか。
そんなあやふやな世界で繰り広げられる(?)奇妙な会話と物語こそが、この作品の真骨頂なのだと思います。

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主人公たちが過ごす世界に対して感じる「既視感」。
それは「現実」を単にそのままトレースしたことによるものではありません。

実際、この作品で描かれる郊外の風景は、個人的に非常に郷愁を感じさせるものであります。古い家や団地が立ち並び、色あせ古びたホーロー看板がかけられた住宅街。現実にはそんな風景を歩いても、いつかは大きな通りに出てしまいます。しかしこの作品では、歩けば歩くだけ謎めいた世界へと向かってしまう。

現実に出てくる地名(例えば「東横線」「新宿」)を舞台にした作品でも同様です。なんとなく見覚えのある駅構内の風景や地下街は時間と空間を越え、いつしか寂れきった、謎の空間へと迷いこむことになります。

既視感のある現実から夢のような曖昧な世界へ。しかしその既視感すら、実は現実にありえたかどうかもよく分からない不安定さ。
実在感を強くイメージさせながらも実は本当はまったく知らないという感覚は、あたかも電車や車でよく通りけれども、実際には立ち寄ったことのない場所のよう。
ここを曲がったら。ここで降りたら。そんな一歩の先にあるイマジネーションの奔流こそが、panpanya先生の持ち味と言えるかも知れません。

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もう1つこの作品の魅力を考えると、ある種の寂しさ、と言えるでしょうか。
曇り空に包まれた住宅街。もはや存在しない会社の看板。
真っ暗で閉めきった店が並ぶ地下街の描写。
作品単位で言えば、「立ち方」のように宿題を忘れて廊下に立っている時の感情だったり、「始末」のように黒板消しが不要とされた世界に対しての感情だったり。

もはや誰にも必要とされないもの・見捨てられてしまったものに対する目、というものが非常に強いと言えますが、決してそこに対して、過剰な思い入れや感情を挟まない部分もまた1つのポイント。キャラクターも物語も、そんな風景をあくまでクールに通り過ぎる。寂しさを抱えつつもあまり執着しないその姿勢も、1つの魅力と言えます。

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シュールさや不条理さが押し出されているように感じつつも、実際のお話自体は意外と(?)しょうもなかったりハートフルだったりするのも、また1つの奇妙なバランス。
こちらのサイトこちらでも短編2作が読めるのでお試しにどうぞ。

「さよならガールフレンド」感想~小さな熱を頼りに歩け~

さよならガールフレンド (Feelコミックス FC SWING)

さよならガールフレンド (Feelコミックス FC SWING)

小さくて、退屈で、どんづまりの町に住む女子高生・滝本。
うわさ話しか話題のないクラスメイトと、この町を嫌う母親と、ただセックスばかりしたがる彼氏に囲まれた毎日。
閉塞感と無感動に蝕まれ、全てに嫌気が差してきた滝本の前に現れた、彼氏の浮気相手であるビッチ先輩。
息苦しく狭い町の中で淡々と始まる、先輩との奇妙で静かな交流。
やがて夏は冬になり、鬱陶しい緑の季節は雪に埋もれる…。

どうにもならない絶望的な鬱屈と、静かな前向きさに溢れた、6作の短篇集。

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高野雀先生「さよならガールフレンド」を読みました。
たまたま別の作品をCOMITIA109で購入し、こりゃ面白い作品を描く人だ!と思っていたら、イイ感じのタイミングで商業単行本が出るというので購入。
時にガラス片で刺されるような痛みを感じつつも、とても静かな前向きさを感じる作品集でした。

冒頭であらすじを紹介した表題作「さよならガールフレンド」を始め、どの作品の主人公も根底にどこか鬱屈したものを抱えています。
クソみたいな田舎という環境であったり、いつまでも若い気でいる彼氏であったり、否応なく変わっていく生活であったり、もしくは自分自身に対してだったり。
平たくザックリ言えば、自分という存在が自分の意を無視/ないがしろにしていく(自分対自分も含めた)人間関係に晒されています。
相手の意思と欲望だけを突きつけられ、自分の感情や意思はまったく考慮されることのない関係。誰だって怒りや悲しみを感じるのは勿論のこと。
でも、そんな状況に置かれ「続けた」時、そしてそこに抵抗する術も意思も奪い去られた時、人はどうしても無感情になってしまいます。

このままではわたしも緑に呑まれて
何も考えられなくなってしまう
(p.10「さよならガールフレンド」)

わたしには「女の子」の資格がない
だから愛されなくてもしょうがない
(p.145「まぼろしチアノーゼ」)

誰にも認められない。自分自身を好きになれない。それが延々と続く生活。そうした鬱屈は、何者にもなれない10代だけのモノじゃありません。
成人しようとも、あるいは男であろうと女であろうと、精神は傷つき、見えない血を流す。

こうした絶望的な状況をとても淡々と描いている点に、この作品の大きな特徴があります。喜怒哀楽の感情の描写は、決して大げさに顔に出ることはない*1。地の文での心情の語りはあれど、それはあまり言葉として発せられることはない。
苦しみがグルグルと自分の中で回り続ける状況。そのとてもクールな描き方が、作品の大きな魅力の1つとなっているように感じます。

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そして、そんな主人公たちをギリギリで踏みとどませるのも、また誰でもない、他者であるという事実がまた熱い。とはいえ、彼/彼女はそんな苦しみから「救おう」という意識の元、手を差し伸べてるわけじゃない。
そこにいるのは別にヒーロー/ヒロインではなく、その関係性をとてもざっくり言えば、「ガールフレンド」*2

例えば表題作「さよならガールフレンド」のビッチ先輩。生活態度も思考や考え方も、主人公である滝本とは正反対の人間で、2人は物語を通じて、特別親しい仲になっていくわけじゃない。たまに出会って、くっちゃべって、時々スクーターに乗って出掛けるだけ。
「面影サンセット」の安堂先輩、「わたしのニュータウン」のミリとユカの関係などなど、「あくまで友人」から「単なる顔見知り」レベルまでの人間関係が作中には描かれています。
あたかも最初に述べた「鬱屈さ」を主人公に感じさせるようなものとは対にになっているようにも見えますが、その間柄で行われることは、「ただ時々静かに会話をする」といったとてもささやかなもの。しかし、そのささやかさこそが、希望の寄る辺となっている。

主人公に対する彼女/彼らは、決して、主人公の生活に入り込んでは来ません。そして、そんな主人公らの絶望的な鬱屈を蹴散らすような存在ではありません。
けれども、適切な距離感を持ってクールに、しかし決して突き放さずに会話をする彼らは、どこかで薄っすらと通じあっている。友情なのか。恋かも知れない。ほんの僅かだけども描かれる描写が、とても暖かい。
主人公の鬱屈はカタルシスを持って解決されることはありません。けれども、視点を、場所を、心持ちを変えれば、なんとか歩いていけそう。そんな小さい覚悟と熱を感じさせる各作品のラストがグッとくるのです。


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こちらのサイトにて、単行本未収録の作品「あたらしいひふ」も載っているので、まずはこちらも。服を巡る4人の女性のオムニバスです。

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こちらはタイトルの元ネタ。初めて聞きましたがカッコいいっすね。

アナログフィッシュ(Analogfish) "Good bye Girlfriend" (Official ...

*1:逆に何も考えていない・考える気のないゲス男の表情が絶妙な苛立ちを誘うのですが…

*2:男もいるけどね

「月刊すてきな終活」~終わりの準備を生きるということ~

終活
人生の終わりを意識して生前の内に行う様々な「死ぬための準備」の総称・
お墓のこと・遺産のこと・心の整理など、その範囲は多岐にわたる。

就職浪人の大学生、妻に先立たれた老人、米寿のひいお婆ちゃん、仮釈放中の無期懲役囚、etc…。それぞれの人生の終わりを見据えた時、初めて実感する「終わり」のための準備。人生の中で手に入れたもの、手に入らなかったもの、やり遂げたこと、やるべきこと…これまでに想いを馳せ、これからの準備にあたふたしている内に、やがて1日は過ぎてゆく。
そんな16(+1)人の姿を描いたオムニバス作品集。

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小坂俊史先生「月刊すてきな終活」を読みました。
「中央モノローグ線」シリーズなど、オムニバス4コマ集も数多く描かれている小坂俊史先生ですが、今回のテーマは「終活」。冒頭にもあるように、「人生の終わり」を意識して生前の内に行う諸々の「準備」の総称です。
当然のように、本作でもテーマとして描かれているのは遺書、お墓、遺産分配、遺影の手配などなど、どれも非常に「死」の匂いが強いもの。また、「死」を目前にしている人たちが主人公となっているように、平均年齢は52歳と高め。勿論、10代~20代の登場人物が主人公の話もありますが、圧倒的に中年~老年男女の登場率が高い作品。
とはいえ、決して鬱々とならず、また、湿っぽくならずに描いているのがこの作品集です。

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「終わり(のための)活動」と書いて終活と読むように、それは自らの死を前にした準備。登場人物の多くはそんな準備を前にして、「どうすりゃいいんじゃい」とボヤきながらあたふたしています。自分が埋まる墓を買うため妻をあれこれ説得したり(2話)、妻に残す遺書をどう書いたらいいのかで悩んだり(4話)、一番の遺影を撮ることにこだわったり(8話)、果ては自らの葬儀のプロデュース計画を練ったり(13話)。
いざ決心して準備をしてみても、予想だにしないあれやこれやが出てきてとっ散らかってしまったり、周りからは真剣さ故に呆れられたり…。そんな「あたふた」を軽いユーモアを交えて描いている点に、作品としての明るさが表れています。

一方で、そんな「あたふた」は、紛れも無く「死」を間近にした焦燥から来ていることもまた事実。そしてその「あたふた」は終わりのための準備であることは間違いなくとも、その人自身が「今現在を生きている」ことの裏返しにも他なりません。

例えば6話の主人公・常子は、女手ひとつで会社経営に奔走した結果、人生が一段落ついた時には友人も親族もいないことに気付き、同じような境遇の人たちが集まって「共同墓」に入ることを選んだ「墓友」の交友関係を作ります。どこか似たような身の上の寄り集まりは気楽で楽しいけれど、男女が集まる場においては幾つになっても色んな感情が生まれがちなもの。
実際、常子も生涯独身の墓友の1人に対して「恋」が芽生えてしまいます。

それなのにやってしまった
ええ 恋しましたよ いい歳して恋ですよ
笑いたければ笑いなさいよ

せっかくできた初めての友達も
みんな一気に 邪魔者になってしまった
(P.38)

人生の残り少なさを共にする人間関係と、それでも「2人きりでいたい」という葛藤。死ぬための準備を行いながらも、どうしようもなく生き残りたいという欲求。自分の生も、心のどこかで願ってしまう他者の死も、逃れようのない苦しさにまみれたもの。

加トちゃんに憧れて若い女の子と知り合おうとするお爺ちゃん(8話)や、独り身になって始めて自分がやりたいことを模索しだしたお婆さん(11話)にしても、つつがなく死ぬための心の準備でありながらも、今現在の生活に対する不安や焦燥を収めたいという想いから出た行動です。それはハタから見れば滑稽で、ある種みっともないとも感じられるけど、当人は至ってマジだし、切実。

それを、コメディタッチで軽く描きつつも、あくまでクールだけれども、見下さない。描かれたキャラクターがマンガ的な軽さを持っていることは勿論なのですが、ツッコミを入れる当人以外の人たちがいるからこその、絶妙なバランスが取れているのです。

このマンガに出てくる登場人物の中には、常子の他にも「1人で生きている(生きてきた)」人も何人か出てきます。しかし、「死」を意識した時、どうあがいても1人ではいられなくなるという事実を突きつけられるのもまた事実。親や子どもといった家族であったり、周りの友人だったり、何らかの形で関わってくる人であり…。
死ぬ前の準備を行う主体は当の本人であるけれども、その準備は誰かのために「遺す」ものでもあります。その関係性こそが、単なる「自分の死」に収まることのない、周囲の人生・生活に影響を及ぼすということが、この作品を広がりあるものにしています。

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1つネタバレをすると、この作品において、それぞれの物語の主人公は誰も死ぬことはありません。あるものは「終活」を続け、またあるものは「終活」への意識を変えていきます。
ただ、誰もが変わらないのは物語の後も生き続けるということ。

遺言書は死後の面倒を全部紙キレになすりつけて
残りの人生を安心して謳歌していただくためのものです
(P.107)

オムニバス集でありますが、第1話と最終話の繋がり、そしてほんの少しだけ見られる各話との関連性もグー。
こちらのサイトにて第1話が立ち読みできます。

「宇宙怪人みずきちゃん1巻」感想~レッツゴー怪獣進撃の巻~

少年・水乃まるが住むボロアパートの上の階。そこにはみずきちゃんが住んでいる。
アリを見るような目で蔑み、いつも邪険に蹴り飛ばし、平気な顔して蝉を食べるみずきちゃん。
どう見ても明らかな「変なこ」でも、まるは常にみずきちゃんが大好き。
いつも傍をついてまわるまるは、いつも1人で奇妙な行動を取るみずきちゃんが気になって仕方がない。

やがてみずきちゃんは言った。
「ここからなら この町を遠くまで見渡せるでしょ?」
「この異常に整頓された町を どうやって壊したら楽しいかなって」

ボロアパートの403号室。
転がるUFO。
水槽から取り出した怪生物。

そう、みずきちゃんは宇宙人。
水槽の生物を巨大化させ、この町の破壊を目論むみずきちゃん。
まるはなんだか怖くなったけど、前よりも仲良くなれました。

町の破壊に熱を上げるみずきちゃんは、果たして想いを成し遂げることができるのか。


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たばよう先生の新刊、「宇宙怪人みずきちゃん」を読みました。
秋田書店のWebマガジンChampion タップ!にて連載されている作品です。
リンク先で全話読めるぞ。

妙にレトロでシンプルな描線で描かれたキャラクターたちとは対称に、グロテスクというかエグ目な描写もちょいちょい挟み込まれる作品。血が吹き出たり死体が飛び出るというよりは、土砂降りの雨の中、グチャグチャになった草むらを覗いた時のような感覚とでも言いますか。全体的に湿度というか不快指数が高めで、ヌメっとした描写が多いのが特徴です。

例えば、リンク先のイラストにあるモスグリーン地にピンクの斑点がついた謎の生物「水棲怪獣ポコドン」。
ナメクジのようなウミウシのようなこの生物を巨大化させることがストーリーの1つであるのですが、こいつがまーとってもヌメヌメと描かれているのですね。
水槽の中でどんどん増やされ、雨漏りに濡れてさらに増やされ、増えすぎたあまりみずきちゃんに駆除され、さらに巨大化して…。
見た目はギリギリキュートな見た目ですが、そいつが大量に描写されたら?そいつが巨大化して人を丸呑みしたら?と考えると、結構キツいもの。

キツい感じになりがちな描写が結構多めなのですが、キャラクターの可愛さや妙にぶっとい描線も相まって、ギリギリの所でキュートさを保ってます(感想には個人差があります)。
その危ういバランスは、「絶対気持ち悪いのがいるよな…」と思いながら、湿った場所にある大きな石を覗いてみる感覚を思い起こすというか、怖いもの見たさでドキドキしたらやっぱりちょっと怖かった!という感覚を思い起こさせてくれます。

ヌメヌメしているのはポコドンだけではなく、大雨、カエル、タコ、海、鼻水、精液、尿、etc...と、全体的に液体成分&不快指数が高めな描写が多めです。
今の梅雨の時期には持ってこいの作品ですね!

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もう1つこの作品の大きな魅力(?)となっているのは、主要となる目立つキャラクターがジメジメ感を吹き飛ばす程ハイテンション&倫理観がほぼ無いという点でしょうか。

主人公たるみずきちゃんからして「町の破壊」を目論む宇宙人。大好きでついて回るまるに対しても、蹴ったり突き飛ばしたり溺死させたりと、その扱いは非常にぞんざい極まりないものです。

で、そうした行動が例えば「Sっ気が強いから」とか、そういう理由で行われているわけではないというのが、大きなポイント。まるのみならず、周囲に対して行われる暴力的な振る舞いは、何かしらの思いがあってやっているというよりは、「単にジャマだから」とか「流れで」とか「なんとなく」という要素しかない。

基本的にみずきちゃんにあるのは「ポコドンを大きくするため」という目的だけであり、基本的にそれ以外はクソどうでも良いというスタンス。一本線で書かれた目に穏やかな笑顔が浮かぶことはあれど、やっていることや考え方はネジが完全にハズレている、というのがみずきちゃんなんですね。

怪獣が出るのであれば、そいつを倒す防衛隊が出てくるのはこの作品でもやはりお約束ですが、みずきちゃんと対になるキャラクターである(そして今後明確に敵対するであろう)、防衛隊の副隊長もたいがいな人物。
怪獣に対して生身で挑むことができる人間リーサルウェポンでありながら、怪獣を倒したくて倒したくて仕方なく、果ては巨大生物を倒すことで性的な快感を得るような性格。まぁ普通に考えればイカれた人格をしています。

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湿度の高い描写と、倫理観の無い(しかもアクの強い)キャラクター。これが合わさった結果、不穏な空気がビシバシ漂う作品となっております。
基本的にはとってもキュート。エグい描写に目をつぶれば、どのキャラクターの行動も、ズレたユーモラスを醸し出している。

とはいえ。
ドロドロとした、分けの分からない生き物が果たして何をもたらすのか(結果的には町の破壊なんだろうけど)、その考えが分からない。
倫理観の無い、次に何をしでかすか分からないキャラクターは、やはり何をもたらすのか(結果的には町の破壊なんだろうけど)、その行動が見えない。

無論、みずきちゃんにはまるという、副隊長には他の防衛隊員というツッコミ役がいます。いるんだけれども、結局彼らのツッコミが全て無と化すインパクトを持つのがみずきちゃんと副隊長。
彼らの「目的」は分かるけれども、その目的を達成するための「手段」がまったく予期できないという恐怖。予期でもロクでもなさそうという不穏さ。そんな「どうにもならん感」がとても魅力的。

ラストにでてきたまるに似た怪生物。そして海の中でますます大きくなるポコドン。
不穏な予感をビシバシさせつつ、2巻が楽しみな作品です。

「レストー夫人」感想 ~私たちは劇をするんですもの~

レストー夫人 (ヤングジャンプコミックス)

レストー夫人 (ヤングジャンプコミックス)

この学校では 毎年二年生が「レストー夫人」という演劇をする
7つのクラスで同じ劇を違う台本にし
7種類の「レストー夫人」を上演する
(p.7)

今年で55回目を迎える公演。
それがどのような意味を持つのか、目的を持つのかは分からないけれども、とにかく毎年続けられているその公演。

それぞれの思惑・それぞれの感情を絡ませながら、練習を重ねる生徒たち。

そして劇は、やがて本番を迎える。


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三島芳治先生「レストー夫人」を読みました。

演劇「レストー夫人」を演じることになった、とある学校のとあるクラス。
その練習の中で繰り広げられる、あるクラスの生徒たちを描いた作品です。

主人公・レストー夫人を演じる少女と、演劇の記録係の少女。
レストー夫人の妹役を演じる少女。
度を越した無口な少女と、そんな彼女の演技を「腹話術」で演じる少女。
レストー夫人の衣装係の少年。

彼女や彼らが織りなす静かな物語をオムニバス形式で綴った作品です。

表紙の絵からも分かるように、キャラクターはとてもシンプルな造形。
丸っこい顔と、妙に角ばった、太い線で描かれる少女(少年もだけど)たち。
マンガの中の生徒たちは「演劇」を行うわけですから、彼女彼らは各々何らかの「役」を求められます。

それは劇中の役のみならず、「進行」や「衣装」や「記録」といった、劇を成り立たさせる諸々も含めてのこと。
誰もが多かれ少なかれ、何かの「役」を演じていることが、この物語の基調にあります。

オムニバス形式で描かれる物語ですが、特に軸となる人物が、主人公・レストー夫人を演じる志野です。彼女は普段から「お芝居風」の言葉で話す、「少し西洋めいた顔立ちのとてもきれいな」女の子。他のキャラクターが演技をすることに戸惑ったり苦労したりする中で、とても自然に演じることができてしまう、エキセントリックな女の子でもあります。

普段の日常の中で、劇の中の女の子のような言葉で話すことは、ある意味とても不自然な、あるいは常識(と自明のことだと思い込んでいるもの)とは外れたことです。それが様になれば、あるいはそういうキャラなのだとして認識されれば良いものの、現実に目の前にそんな話し方をする人がいれば、不自然さというか、違和感を感じてしまいます。

「演技」と「現実」は違うだろう。
この場でそんな言葉遣いは「不自然」だ。

そして志野自身も、まるで物語の中の人物のような自分の「不自然さ」を認識しています。

外の世界に出ても いつもお話の中にいるような気がして
自分の言葉もぜんぶ劇の台詞みたいに聞こえる
(p.29)


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私たちは劇をするんですもの

「私たちは劇をするんですもの」とは、作中で志野が繰り返し言う台詞です。
「レストー夫人」という劇を演じるということ。その物語の登場人物を演じるということ。
一方でその台詞は、「不自然さ」について言及する、あるいはそんなシチュエーションに接した場面で放たれる台詞でもあります。

例えばレストー夫人の妹・デルフィーユを演じる川名さん。
彼女は、彼女にしか見えない「しるし」をなぞって生活をしています。

例えば度を越した無口の鈴森さんと、彼女の役を「腹話術」で1人2役で演じさせられる井上さん。
井上さんがキチンと鈴森さんの役を演じられるよう、日常の中でも「腹話術」を行う生活を始めます。
(「レストー夫人」はその物語が筋に則っているのであれば、なんでもアリの劇である模様。)

床にちらばった「しるし」にしても、日常生活での「腹話術」にしても、それはハタから見れば、不自然とまで言わなくても奇妙なこと。しかし、それが必要なものとしてとして求められるのが、「レストー夫人」の演技での世界。
川名さんも、鈴森さん&井上さん(どちらかと言えば9割5分が井上さんだけど)も、それぞれ自らの「役」を演じるために試行錯誤をしています。

川名さんは「しるし」の見えない教室の床では上手く踊ることができないし、井上さんは鈴森さんが演技をしているように見せるため、四苦八苦しています。

そんな「不自然」を難なくこなすことができているのが、他ならぬ志野。
踊ること・演じること。まさに「物語の人物」のように、こなすことができるのです。


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演じるということは、特に「劇」や「お芝居」というものは、見るのと演じるのではまったく違うものです。特に何らかの役を演じるということは、普段とは異なる言葉や仕草、行動が求められるもの。それはある意味では「違和感」とか「不自然」なんて感情を覚えることもあります。そこに慣れることは多かれ少なかれ時間もかかるし、時には気恥ずかしさを感じるもの。

けれども、我々は普段の生活の中で、自覚的にせよ無自覚的にせよ何らかの「役」を演じています。
「学校の中」での役。「会社の中」での役。「家族の中」での役もこなせば、「友人関係の中」で求められる役もこなすこともある。

そういった役割をこなすことは、もしかしたら「自然」なことではないのかも知れません。しかし、そうした行動が、まったく無機的な、何の感情も挟まない自動的なものであるかといえば、決してそうではありません。それは「レストー夫人」でも同じこと。

例えば記録係の鈴木さんは、練習風景を克明に記録する中で、志野の喜怒哀楽を描いていく。
例えば衣装係の石上くんは、志野の「2つの形」を衣装の中に表す。

「演じる」ことの中には、色んな感情や想いや、時には他愛もないあれやこれやが詰まっていることに、ふとした瞬間に気づく瞬間。「不自然」さや「演技」であるという意識を何気なく越えた瞬間。シンプルな描線で描かれるこの瞬間の鮮やかさが、本当にたまらないのです。


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ヤングジャンプ増刊アオハルで掲載されていた作品ですが、こちらのサイトで第1話を読むことができるので、是非是非お目通しを。
単行本は他にも短編2作が収録されていますが、どちらもキュートで良い作品なのでマストバイだ。