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「レストー夫人」感想 ~私たちは劇をするんですもの~

レストー夫人 (ヤングジャンプコミックス)

レストー夫人 (ヤングジャンプコミックス)

この学校では 毎年二年生が「レストー夫人」という演劇をする
7つのクラスで同じ劇を違う台本にし
7種類の「レストー夫人」を上演する
(p.7)

今年で55回目を迎える公演。
それがどのような意味を持つのか、目的を持つのかは分からないけれども、とにかく毎年続けられているその公演。

それぞれの思惑・それぞれの感情を絡ませながら、練習を重ねる生徒たち。

そして劇は、やがて本番を迎える。


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三島芳治先生「レストー夫人」を読みました。

演劇「レストー夫人」を演じることになった、とある学校のとあるクラス。
その練習の中で繰り広げられる、あるクラスの生徒たちを描いた作品です。

主人公・レストー夫人を演じる少女と、演劇の記録係の少女。
レストー夫人の妹役を演じる少女。
度を越した無口な少女と、そんな彼女の演技を「腹話術」で演じる少女。
レストー夫人の衣装係の少年。

彼女や彼らが織りなす静かな物語をオムニバス形式で綴った作品です。

表紙の絵からも分かるように、キャラクターはとてもシンプルな造形。
丸っこい顔と、妙に角ばった、太い線で描かれる少女(少年もだけど)たち。
マンガの中の生徒たちは「演劇」を行うわけですから、彼女彼らは各々何らかの「役」を求められます。

それは劇中の役のみならず、「進行」や「衣装」や「記録」といった、劇を成り立たさせる諸々も含めてのこと。
誰もが多かれ少なかれ、何かの「役」を演じていることが、この物語の基調にあります。

オムニバス形式で描かれる物語ですが、特に軸となる人物が、主人公・レストー夫人を演じる志野です。彼女は普段から「お芝居風」の言葉で話す、「少し西洋めいた顔立ちのとてもきれいな」女の子。他のキャラクターが演技をすることに戸惑ったり苦労したりする中で、とても自然に演じることができてしまう、エキセントリックな女の子でもあります。

普段の日常の中で、劇の中の女の子のような言葉で話すことは、ある意味とても不自然な、あるいは常識(と自明のことだと思い込んでいるもの)とは外れたことです。それが様になれば、あるいはそういうキャラなのだとして認識されれば良いものの、現実に目の前にそんな話し方をする人がいれば、不自然さというか、違和感を感じてしまいます。

「演技」と「現実」は違うだろう。
この場でそんな言葉遣いは「不自然」だ。

そして志野自身も、まるで物語の中の人物のような自分の「不自然さ」を認識しています。

外の世界に出ても いつもお話の中にいるような気がして
自分の言葉もぜんぶ劇の台詞みたいに聞こえる
(p.29)


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私たちは劇をするんですもの

「私たちは劇をするんですもの」とは、作中で志野が繰り返し言う台詞です。
「レストー夫人」という劇を演じるということ。その物語の登場人物を演じるということ。
一方でその台詞は、「不自然さ」について言及する、あるいはそんなシチュエーションに接した場面で放たれる台詞でもあります。

例えばレストー夫人の妹・デルフィーユを演じる川名さん。
彼女は、彼女にしか見えない「しるし」をなぞって生活をしています。

例えば度を越した無口の鈴森さんと、彼女の役を「腹話術」で1人2役で演じさせられる井上さん。
井上さんがキチンと鈴森さんの役を演じられるよう、日常の中でも「腹話術」を行う生活を始めます。
(「レストー夫人」はその物語が筋に則っているのであれば、なんでもアリの劇である模様。)

床にちらばった「しるし」にしても、日常生活での「腹話術」にしても、それはハタから見れば、不自然とまで言わなくても奇妙なこと。しかし、それが必要なものとしてとして求められるのが、「レストー夫人」の演技での世界。
川名さんも、鈴森さん&井上さん(どちらかと言えば9割5分が井上さんだけど)も、それぞれ自らの「役」を演じるために試行錯誤をしています。

川名さんは「しるし」の見えない教室の床では上手く踊ることができないし、井上さんは鈴森さんが演技をしているように見せるため、四苦八苦しています。

そんな「不自然」を難なくこなすことができているのが、他ならぬ志野。
踊ること・演じること。まさに「物語の人物」のように、こなすことができるのです。


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演じるということは、特に「劇」や「お芝居」というものは、見るのと演じるのではまったく違うものです。特に何らかの役を演じるということは、普段とは異なる言葉や仕草、行動が求められるもの。それはある意味では「違和感」とか「不自然」なんて感情を覚えることもあります。そこに慣れることは多かれ少なかれ時間もかかるし、時には気恥ずかしさを感じるもの。

けれども、我々は普段の生活の中で、自覚的にせよ無自覚的にせよ何らかの「役」を演じています。
「学校の中」での役。「会社の中」での役。「家族の中」での役もこなせば、「友人関係の中」で求められる役もこなすこともある。

そういった役割をこなすことは、もしかしたら「自然」なことではないのかも知れません。しかし、そうした行動が、まったく無機的な、何の感情も挟まない自動的なものであるかといえば、決してそうではありません。それは「レストー夫人」でも同じこと。

例えば記録係の鈴木さんは、練習風景を克明に記録する中で、志野の喜怒哀楽を描いていく。
例えば衣装係の石上くんは、志野の「2つの形」を衣装の中に表す。

「演じる」ことの中には、色んな感情や想いや、時には他愛もないあれやこれやが詰まっていることに、ふとした瞬間に気づく瞬間。「不自然」さや「演技」であるという意識を何気なく越えた瞬間。シンプルな描線で描かれるこの瞬間の鮮やかさが、本当にたまらないのです。


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ヤングジャンプ増刊アオハルで掲載されていた作品ですが、こちらのサイトで第1話を読むことができるので、是非是非お目通しを。
単行本は他にも短編2作が収録されていますが、どちらもキュートで良い作品なのでマストバイだ。