犬の帰宅

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「枕魚」~何処にも行けない/存在しないあの場所へ~

枕魚 (書籍扱い楽園コミックス)

枕魚 (書籍扱い楽園コミックス)


東横線は4本存在するという都市伝説
雨の日に出会ったカエル
見捨てられた新宿最古の地下空間
鶴見港で水揚げされる謎の物体…

奇妙な既視感と空想に溢れた風景を、イイ感じの描線で描かれるキャラクターが彷徨する、22編の短篇集。

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panpanya先生の短篇集「枕魚」を読みました。
「足摺り水族館」「蟹に誘われて」に続く3冊目の単行本ですが、どこから読んでも全く問題ない作品群。常に共通しているのは、妙な陰鬱さと奇妙にあっけらかんとした明るさ、そして何とも言いがたい郷愁に満ちた世界感。

panpanya先生の絵の大きな・かつ唯一無二の特徴は、「枕魚」の表紙絵でも分かる通り、異様に描き込まれた背景と妙にシンプルなキャラクターの妙にあります。
その黒さ故か、いつも曇天のように見える住宅街。
読み手の記憶の片隅にある(気がする)何かの看板。
そんな風景に唐突い挟み込まれる謎の物体。

主人公のボブカットの女の子は、どの作品でも共通した顔。
作品によって主人公の友人や上司だったりする、やっぱり大体同じ顔をした犬やイルカや潜水艦頭の男。彼女も彼らも同じ顔をしているけれども、ほとんど名が明かされることはありません。

多くの作品で目立つのは、主人公の女の子が歩いているシーン。作品にもよりますが、住宅街を、通学路を、地下街を、てくてく歩いているシーンがとても多いです。学校の帰り道だったり、何かを探していたり、ただの散歩だったり、そもそも目的なんかなかったり…。
女の子が歩いているその世界は先にも書いた通り、読み手の世界とどこか既視感があります。けれども、気づいたら時間と空間を飛び越えている。塗りつぶされた過去の世界であったり、本当に存在するのかも怪しい異世界。どこかで見たような、見たことないような。そもそも本当に見たことがあるのか。ないのか。
そんなあやふやな世界で繰り広げられる(?)奇妙な会話と物語こそが、この作品の真骨頂なのだと思います。

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主人公たちが過ごす世界に対して感じる「既視感」。
それは「現実」を単にそのままトレースしたことによるものではありません。

実際、この作品で描かれる郊外の風景は、個人的に非常に郷愁を感じさせるものであります。古い家や団地が立ち並び、色あせ古びたホーロー看板がかけられた住宅街。現実にはそんな風景を歩いても、いつかは大きな通りに出てしまいます。しかしこの作品では、歩けば歩くだけ謎めいた世界へと向かってしまう。

現実に出てくる地名(例えば「東横線」「新宿」)を舞台にした作品でも同様です。なんとなく見覚えのある駅構内の風景や地下街は時間と空間を越え、いつしか寂れきった、謎の空間へと迷いこむことになります。

既視感のある現実から夢のような曖昧な世界へ。しかしその既視感すら、実は現実にありえたかどうかもよく分からない不安定さ。
実在感を強くイメージさせながらも実は本当はまったく知らないという感覚は、あたかも電車や車でよく通りけれども、実際には立ち寄ったことのない場所のよう。
ここを曲がったら。ここで降りたら。そんな一歩の先にあるイマジネーションの奔流こそが、panpanya先生の持ち味と言えるかも知れません。

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もう1つこの作品の魅力を考えると、ある種の寂しさ、と言えるでしょうか。
曇り空に包まれた住宅街。もはや存在しない会社の看板。
真っ暗で閉めきった店が並ぶ地下街の描写。
作品単位で言えば、「立ち方」のように宿題を忘れて廊下に立っている時の感情だったり、「始末」のように黒板消しが不要とされた世界に対しての感情だったり。

もはや誰にも必要とされないもの・見捨てられてしまったものに対する目、というものが非常に強いと言えますが、決してそこに対して、過剰な思い入れや感情を挟まない部分もまた1つのポイント。キャラクターも物語も、そんな風景をあくまでクールに通り過ぎる。寂しさを抱えつつもあまり執着しないその姿勢も、1つの魅力と言えます。

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シュールさや不条理さが押し出されているように感じつつも、実際のお話自体は意外と(?)しょうもなかったりハートフルだったりするのも、また1つの奇妙なバランス。
こちらのサイトこちらでも短編2作が読めるのでお試しにどうぞ。