踵を踊らせて

コンマ打つときにコツがいるのよ

chapter22(高野雀)『After the Party』(COMITIA130_20191124)

とにかくパーティを続けよう/この先もずっとずっとその先も

 

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 阪神大震災の傷跡が未だ生々しく残る、95年10月の神戸三宮。ボロボロの街を通って遊びに行ったクラブでの一夜を描いた作品。
 良くも悪くも今とは異なる風景。良くも悪くも今とは変わらない風景。95年秋頃の情景と、執筆当時(2019年)視点からの注釈の2点で構成されています。

 電子マネーもインターネットも深夜営業でご飯を食べられる店もほとんどない時代。「女性」であるだけでナチュラルに見下される言動が今以上に疑問なく発せられていた時代。そして、99年には世界が終わると信じられていた時代。
 様々な屈託と葛藤は今と地続きで、今と変わらない(場合によってはさらに抜き差しならないものになった)面があるその風景は、「過去」と言い切るには生々しいし、「破局」と言い切れないくらいには楽しいこともあった。
 18ページのマンガではあるのですが、そのうち15ページに対して27の注釈が着けられています。*1。その多層性が取っ払われ、やがてやってくるラストシーン。ビニールシートが被ったビルと小さな2人の対比。明ける朝の描写。話の筋だけ説明するとすぐに終わってしまうのですが、それが何よりも精密に描きこまれていることに、コマを覆う暗いトーンが取り払われることにグッとくる。世界は終わらない。やがて朝が来て生活が始まる。

 

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 で、これを買った19年11月と、20年05月に改めて読むと、色々な質感が違って感じられるのですね。買ったばかりに読んだ時は過去であり、未来の話のようにも感じたけど、紛れもない現在の話でもある。

 大きなカタストロフというよりも、ジワジワと身体と精神を蝕むような日常。「After the Party」という「パーティ」という単語には色んな意味が掛けられていると思っていて、今現在の世界の状況もある種の「パーティ」である。
 勿論それは華やかで楽しいものではなくて、ウンザリする程退屈で、危機感とやるせなさだけが募る日常。で、それが終わって何かが変わるにしても、日常は続く。退屈さもやるせなさも、ずっと抱えて生きねばならない。それを乗り越えるための「パーティ」すら封じられた今。今まで通りに作ることは恐らく出来ない「パーティ」。

 物語の主人公である2人の女性は、開いているのかどうかすら分からないクラブに行く。SNSどころかインターネットすら一般的とは言い難い時代。手紙か電話か直接会うかしないと、人も現場もどうなっているのか分からない時代。そのような中でも「開けといたらそのうち誰か来る」と思って開け続けていたクラブの描写がなんとも言えず沁みるものがあるんですよね。とにかくパーティを続けよう。これからもずっとずっとその先も。かくありたい。

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 ウェブ通販ではシカクオンラインショップ(リンク先)及び恵文社バンビオ店(リンク先)で取り扱い中とのこと。本誌に使った用紙も含めて拘った作品。本であることに大きな意味を持たせている作品なので、ぜひ紙で。読んでくれ。

*1:第2版だと追記・修正されているそうですが未確認………