踵を踊らせて

コンマ打つときにコツがいるのよ

20231216_映画泥棒は君に走りかける

・映画窓ぎわのトットちゃんを見ました。
tottochan-movie.jp

黒柳徹子のアレでしょ。ベストセラーの。タイトルは聞いたことあるッス。なんか実家の本棚にあったような気もするな~。読んだことはないけど、幼少期の学校の話っすよね。ちょっと面白い学校に行ってた的な……。あ、アニメ化するんすね。なんかキャラデザ特徴的で面白いっすね。


・↑くらいのテンションだったんですよ。先月末くらいまで。何度か映画館の予告で見て、それこそこないだ見た『ゲゲ謎』でも予告がやっていて、色々動いて色彩豊かだな~くらいの感じで、別に劇場で見る気は全然なくて。


・そしたら妙にTL(今もこの言い方で合ってるのか?)で各方面から妙に絶賛の声が高く、そんなら見に行ってみるかと思い行ってきました。今日。


・いつも元気なトットちゃん。気になったことはとにかく見て触れてみないと気が済まない性格。あまりの落ち着きのなさから小学校の先生にも「面倒を見切れない」と匙を投げられてしまう。辿り着いた先は東京・自由ヶ丘にあるトモエ学園。校長である小林先生との長いお話の末、トットちゃんは学園に入学することに。小児マヒを抱えた泰明くんとの出会い。過ぎ行く季節の中で遊びに学びに楽しむ生徒たち。しかし戦争の足音は否応なく彼らの生活にも影を落とす……。


・戦争の足音は否応なく彼らの生活にも影を落とす……。←マジでイヤすぎる!!!!!


・と、思わされるくらいには物凄く、しかし一言ではいい表せないので以下に書き殴ります。なるべく根本的なネタバレはないように書いておりますが別にそういう作品じゃないし、40年以上前の原作にネタバレもないと思いますが……。

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・まず最初に目を引くのが1940年春先の自由ヶ丘駅周辺を描いた美術の美麗さ。その中を縦横無尽に駆け巡るトットちゃんのエネルギー。建物、看板、内装、小物と、恐らく半端ない労力をかけて細かい部分まで時代考証をして、また子どもの動きを徹底的に見つめた上で、あまりにも落ち着きがなくて危なっかしい動きっぷりを描いている。平気で危ないことするよな~という意味で、見ていてヒヤっとさせられるシーンが幾つもある。


・また、トットちゃんや子どもたちのイマジネーションの奔流がアニメーションとしての形となって描かれるシーン。全編を覆う絵柄とは異なる形で描かれるそれらは、劇場のデカいスクリーンで見るのに相応しく、特に最初の電車の教室でトットちゃんが繰り広げる空想のシーンなんかは「志が……高い!!!」という印象が一番に出てしまった。アートアニメーション的な印象が強くもあり、それを差し置いても非常に楽しく気持ちよいシーンなのですが。『ちびまる子ちゃん 私の好きな歌』を引き合いに出した感想を見たけれど、なんか分かる。


・常に紅を差した、あるいは赤みがかったキャラデザも最初は中々強烈でありながら違和感がなくなっていく……というよりは、戦争が始まるに従って色味が失せていく(街並みもうら寂しくなっていく)ような工夫がなされているようで、そういった意味では全編トットちゃんからの視点であることが貫かれているのかなと。この辺はもう一度見直したい……。なるべく説明しない、演技で語らせる作りも上品。

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・上品ということで言うと、徹頭徹尾上流階級の生活が描かれているんですよね。トットちゃんのお父さんはオーケストラ(現在のN響)のコンマスを務めるヴァイオリニスト。トットちゃんも自身も指揮者であるローゼンシュトックらに可愛がられている。
ja.wikipedia.org


大井町線北千束にある黒柳家もアホみたいにデカい(パンフレット見ると本編ではよく分からなかったけれどでっけえ庭が幾つもと温室まである!)上に、ガスコンロ、冷蔵庫、なんかすごい形のトースターまで備えている。1940年代にここまで西洋的な家が果たして日本に何軒あったのか。友だちの泰明くんの家も田園調布にお屋敷を構えており、こちらは日本家屋のようだけれど、デカい書斎と浴室がある。


・そもそもトモエ学園のような場所に子供を通わせる余裕がある人がどれだけ限られていたかとを思うと、学園近所の汚ったねえ洟垂れ小僧どもがトットちゃんたちを揶揄う(服装の違いがもうね……)のも、あるいは銀座に家族でお出かけしたトットちゃんたちが、憲兵に国民精神総動員の風潮にかこつけて「服装が派手である」と絡まれるのも、現代庶民の視点から見るとどこかで理解できてしまう。本当に心底嫌なことだけれど。


・話は変わるけれど小児マヒを抱えた泰明くんが電車で家に帰っているシーンがあまりにも切なくて、というのも学園のある自由ヶ丘と田園調布って東横線で一駅しか離れていないわけですよ。彼は本を読むのが大好きな子どもであると描かれているけれど、彼が実際に自分の目で見ることが出来た世界は電車一駅分であった、ということを思うと本当にやるせない気分になってしまう。だからこそトットちゃんとの木登りのシーンの「後」で泣いてしまうわけですが。


・話を戻すと限られた子どもたちに対してしか教育を施すことが出来なかったということは別に小林先生の落ち度でもなんでもない。むしろ、既存の教育制度に対してのカウンターであったからこそ、リトミック教育を始め先進的な試みに取り組むことが出来たのであろうことは間違いない。しかし、そういう中にも否応なく戦争の影が忍び寄ることのイヤさ。


・「戦い」でいうと、上にも書いた近所の洟垂れ小僧連にトットちゃんが機転を利かせ、イヤな囃し歌を歌い返して追い返す場面。痛快な場面でありつつ、小林先生の震える後ろ姿が何を示しているかがあえて明示されていないのも好きなんですよね。子どもたちのやり取りに笑っているとも取れるし、暴力に訴えることなく乱暴者たちを追い返したことに咽び泣いているとも取れる。それは戦争が近づくにつれて、あるいはそうした日常の裏側に存在している「死」が色濃くなっていく後半の描写と裏表となっている。


・出征兵士たちの行進の中をトットちゃんが走り抜けるシーン。疎開で学校を閉める中、教室で1人になった小林先生の慟哭と貼られたお絵描き。生活がひたひたと侵されていくことの根本的な嫌さが特に映画の後半では溢れていたように感じる。しかもまた色んな種類のやるせなさが打ち出されてくるんだからたまったもんじゃない。

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・たまたま最近、江藤淳蓮實重彦の対談集『オールド・ファッション 普通の会話』という本を読んでいまして。


・色々と読みどころがあるので本自体の感想は別の所で書きたいな~と思うのですがその中の一節に、2人の原風景として幼少期の生活の豊かさを懐かしむ場面があることを映画を見ている時に思い出したのです。調べてみると、江藤淳が1932年生まれの新宿育ち、蓮實重彦が1936年生まれの六本木育ち。我らがトットちゃんが1933年生まれなので、大体同じ小学校の建物に収まる学年。地理的・生活史的な差異はあれど、東京在住のアッパークラスとして見てきた景色はかなり近しいものだったのではないかと想像が出来る。

蓮實「文化的な生活水準その他とは別に、芸術的な、映画の場合だったらほとんど、誰も芸術だと思って見ていたわけじゃないでしょうけれども、いま見てみると、まさかと思われるようなすごいことが行われている。それはことによると、そういう歴史的な一時期の、郊外電車が延びていくところですね、そういうものを東京の都会のブルジョワジーが、満喫している一種の切ない喜びの表現だったんじゃないかなということを考えますね。」

江藤淳蓮實重彦『オールド・ファッション 普通の会話』(講談社文芸文庫 p112)

・江藤、蓮實共に本当の豊かさは戦前にこそあったということを懐かし気に語り、それは80年代当時の世相に対する皮肉を込めていることは前提でありつつ、現代から見たら戦前の暗い時代が、彼らにとっては明るく豊かな時代であったということは、実感ベースとしては確かなんだろうと思う。勿論、そんな生活が出来た人間は当時本当に僅かな数しかいないわけで、何を気楽なこと言ってやがると批判することは出来る。しかし一方で、その「豊かさ」を作っていた側の人間もいるわけで、そういう人としての凄みを小林先生に感じるわけです。


・ラストシーン間近、空襲で燃え盛るトモエ学園を背に「今度はどんな学校を作ろうか?」と囁く小林先生の凄み。終始優しく、しかし教育者として芯の通った人間であった先生が最後に見せる得体の知れなさと傑物っぷり。ある種のノスタルジーと共に思い出されるような「豊かさ」を作り上げた大人が本当に肚の底から覚悟が決まっているということに、大人(教育者)としての迫力を感じて本当に好きなシーンです。

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・とまぁ色々書いたけれど、まだまだ飲み込めていない部分も多いのでもう一回はみたいな~。ゲ謎見た時も同じこと書いたけれど。良いシーン、本当に沢山あるのでしっかりと味わい尽くしたいです。