踵を踊らせて

コンマ打つときにコツがいるのよ

20231007_キュビズム展に行ってきた話

国立西洋美術館で開催されている「キュビズム展」に行ってきました。
cubisme.exhn.jp

セザンヌから始まり、ピカソとブラックが始めた絵画におけるキュビズムの試み。若く野心的な作家の間に広がり、賛否両論を呼び、第一次大戦を経て更なるムーブメントへと繋がるまでの20年に満たない期間の記録。見ていてかなり面白かったけれど、絵画として理解したかと言われると多分10%も理解できていなくて、どちらかというとデザイン的に見て面白え~という見方をしてしまった気もする。別にデザインに対する造詣も欠片もないのですが……。

ピカソやブラックはモチーフにギターやバイオリンを取り上げることが多いけれど、これがもう、マージに抽象的で全然分からない。物事を写真のようにそのまま描くのではなく、多面的に捉え、そこで得た理解を1枚の絵の中に表現しようという試み。そう言われると一瞬だけなるほどね~という気分にはなる。けれど、いや結局よく分かんねえな……となってしまう。逆に(?)デザイン的な格好良さとして切り替えてみると、うお~カッコええ~と思えてくる。

・中盤頃からメインビジュアルにも使われているロベール・ドローネーの「パリ市」や、その妻ソニア・ドローネーの「バル・ビュリエ」など、抽象と具象の間、あるいは色合い等々で時間の変化を表そうとする試行錯誤が出てきて、抽象度は変わらないまでも色んなバリエーションが出てきて新鮮に面白く感じる。ダンスホールの中、色とりどりの光で表された人々の影なんか見ていると、「抽象と具象のギリギリの間を目指そうとしていた」(うろ覚え)という『岸部露伴は動かない 六壁坂』の台詞を思い出してなんかグッとくる。今回は展示されていないけれど、『六壁坂』で一文無しになった露伴が唯一持っていた画集の作者二コラ・ド・スタールも、ブラックやレジェといったキュビズムの作家と親交があったようなので、その辺通底しているのかもしれない。

・音声ガイドのメインが三木眞一郎なんですが、メチャメチャ良い声で耳元で囁いてくれるぞ!

・ちなみにその後常設展も見たのですが、そちらは16世紀の宗教画から印象派を通じて最後は晩年のピカソに行くという構成なので、こっち先に見てからの方が絵画の歴史を直線的に見られるので良いのかも。金曜土曜は20時までやっているようなので、午後くらいに行って常設展からガッツリ見るのも贅沢かも。

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・その後、向かいにある東京文化会館のカフェで一服。室内席はホールのホワイエと繋がっており、ボケっと眺めながらコーヒーを飲む。ああいうホールにスーツをめかし込んでクラシックを聴きに行き、合間の休憩時間でホールでシャンパンを飲んだらさぞ優雅で楽しかろうなと思った。なんて貧相なイメージなんだ。

東京文化会館は10年近く前に人から誘われてラテンビッグバンドの演奏を見に行ったことがあるのだけれど、誘った人が当日急に行けなくなり、代わりの人を呼んだから一緒に行って! と言われてマジで初対面の人と一緒に演奏を見た記憶がある。お互い気まずく、初対面の人も演奏が終わって速攻で帰ってしまったこと(そりゃそうだ)と、2階席の角度が急で怖いな~と思ったことだけ覚えてる。演奏のことを覚えとけよ。

・20代前半、当時つるんでいた人の繋がりで、ちょっと変わった人たちと関わることがあった。ライブに誘ってくれた人もその中の1人で、全体的に皆裕福な育ちで、それでいて余暇は変わったことをしている、みたいなノリの人たち。それなりに可愛がって貰ってはいたけれど、空気感が合わずに大分前に関係を絶ってしまった。その後何をしているのかは分からないけれど、ライブに誘ってくれた人はフランスだか何処だかに生活拠点を変えたことをfacebookで見て、それを最後に連絡も取らなくなってしまった。

・今もその輪の中にいたらもう少し何か変わったかもしれんな~と思う一方、そうしていた自分というのもあまり想像がつかないので、結局はなるようにしかならんのだろうな。


・唯一撮った写真。最近の美術館は写真撮影の展示が多いけれど、私は未だその辺の感覚がロートルなのでパシャパシャやられるとちょっと気になっちゃうところも正直あるぜ。実際は全然いいんだけどね。

20231006_光の速さで進んでくWeekend

・ぽんぽこさんの新曲『Bokeh』が投稿されてから、事あるごとにずっと聞いている。ついこないだまで暑かった私の部屋を、すっかり秋の空気に変えてしまった。

youtu.be

YouTubeで再生し、iTunesで再生し、Spotifyで再生し……と1回聞いたら3回聞く(?)ことになるので大変なんだから。

・元々は2月に相方ピーナッツくんによるデモバージョンが生放送でドロップされ、クールなトラックと複雑なニュアンスを含んだ歌詞で好事家(ぽこピーファン)たちからの話題を呼んでいた曲。これが満を持して正式なバージョンとして発表され、界隈は静かにしかし熱く大盛り上がり。

・何が素晴らしいかって極限までキャッチーさを削ぎ落としたトラックの中で光るぽんぽこさんの声。「夢はまだ 醒めないまま」のフレーズがいつもの喋りとは違う落ち着いたトーンで、しかし確実に知っている声色で耳に届くと、何度聞いても新鮮に脳のシナプスがスパークしてしまう。デモ版でも印象的だったトラックのメロディを微妙にズラしていることで、浮遊感・不安定感の中にある確かなものとして、ぽんぽこさんのヴォーカルを感じるのかも。

・本人が録ったPVも普遍的な風景でありながらノスタルジックな空気を帯びていて、聞きながら外を歩いていると見知った風景がまるでPVの一部かのように錯覚してしまう。今ここで見る風景とぽんぽこさんが眺めているものが地続きであるという、おこがましくてくすぐったい感覚。我ながら単純ね。

・そして「I'm a proncess of カメラ越し」というキラーフレーズ。間違いなくぽこピーの2人の間にしか分からないことがあるということ。勿論2人の関係を知らなくとも間違いなく良い曲なんだけど、どこかで終わりを見据えたような歌詞、ぽんぽこさんのことを歌った歌詞を、ピーナッツくんという一番身近な人間が書いたということに、グッときてしまう。

・何よりもVTuberが歌う曲としてぽこピーがこうした尖った楽曲を出してくることに嬉しさを感じてしまうところがあり、「全部が消えてしまう」までは元気に活動を続けて欲しいな、と願わずにはいられない。次の更新でまたいつもみたいに明るい動画を出してきたらギャップでやられちゃうんだろうな。

 

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・そんなわけで陽が落ちたら急に寒くなったので、長袖の服や新しい上着欲しさに日課(といいつつ気が向いた時にしかやっていないけれど)のウォーキングついでに古着屋に向かった。古着屋といっても洒落たそれではなく普通にチェーンのお店。なので良さげじゃんと思った服がユニクロやGUなんてことも全然ある。

・そうは言いつつ探していると時々は結構な掘り出し物もあるもので、今回はたまたま定価で買ったらウン万円する新品のジャケットが結構な値引率で売っていたのでちょっとビビりつつ買ってしまった。

・若干大きめだし普段なら買わない派手な色合いだし、肩幅がゴツくて羽織るとガンダムみたいなシルエットになるけれど、背伸びしてこういう服も似合うようになるのが…成長ってもんだろ! イマイチだったとしてもそれでいてただの服じゃんか!(©️春あかね高校定時制夜間部)と勢いで購入。いい買い物したな〜という気分に浸りつつ、帰ってから今度はこんな高いモノをこんな安値で手に入れてしまって良いのか!? という思いも湧いてくる。根がチキンなのでこういう時だけ急にアパレル業界の未来を憂いてしまう。愚かで身勝手な人間よ。

・古着屋に行くと大昔のチンピラみたいなサテン地に花柄のシャツや、地上げ屋みたいな人しか着てないような柄をしたダブルのジャケットなんかもチラホラ置いてあって、急にこういうの着たら面白いだろうな〜という誘惑に駆られることも時々ある。

こういうの(T-SQUARE『F-A GRAND PRIX』裏ジャケより)

・もっと若ければ悪ふざけで買っていた気もするけれど、買ったとて着ることは恐らく一度もないな……クローゼットの空きだって有限だし……という考えが先に来てストップをかけてしまう。これもまた成長なのかもしれない。

20230928_あぁ早く9月になれば

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・なんつってる間にもう28日っすよ(笑)あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ(初カキコ…ども…)
・初カキココピペ、相当昔から知っていたような気がするのに初出は2009年だと知っては毎回軽く驚いてる気がする。八頭身モナーとか2ch閉鎖騒動Unix板大活躍フラッシュとかキッコーマンとかムネオハウスより全然後ってことでしょ。『けいおん!』が放送され、『エヴァ破』が公開され、『進撃の巨人』の連載が開始したのと同じ時代という感じがしないのは歳のせいか。もう少しリアルタイムの世代? なら同時代感を覚えるのだろうか。
・こういう2chの定型文=「コピペ」と認識していたので、ちょっと前までtwitterで検索した時に大量に出てきた、なんかの2次創作のキャラのイチャイチャ創作やり取りbotに「○○コピペbot」みたいに名付けられているのは今でも違和感がある。

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・9月に入ったら急に仕事のギアが上がり、結局9月後半までかなりワーワー忙しいことになってしまった。というか別になに一つ落ち着いてなどいない。仕事があるのはありがたいことではある。給料が上がるともっとありがたいが。
・ただ、上司や周囲からのありがたがられポイントとして「色々手を動かしてくれるから」といったことを言われると、悪い気はしない一方、その辺上手いこと調整するのが上司ちゃうんかい!?? と、思わないでもない。しかし見方を変えると私が勝手に仕事やら何やらを抱えてるだけじゃんという説もあり、慣れとやってる感で自尊心をお手軽に満たしちゃうところもあるな~という反省点も浮かび上がるワケ。
・直接的なヤマは一応脱した(と信じたい)ものの、特に今週初めは色んな作業があるプラス、コロナやら何やらで体調崩しパーソンが増えた結果、更に作業が増えて中々スリリングな状態に。特にメインの作業は今回初めてということもあったため前日からあまり身が入らず、お酒を飲む機会があったものの早々に酔いが回って脱落するという事態に。昔から何かしら懸念点や引っかかりを覚えると精神的に勝手に追い詰められてしまうところがあり、正直もう結構いい歳なんだけどな〜これからもずっとこんなんなんかな〜と、少し落ち込んでしまった。
・性格的にちょっとしたことでクヨクヨしたり大げさに喜びがちで、そういう特性を持っているといえばそれまでなんだけれど、単に人とのコミュニケーションが少ない(慣れてない)のでは? という可能性もあり、それはいい歳こいてヤバいかもしれない。

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・こないだ入った街中華のランチに「カレーチャーハン」があったので何の気なしに頼んだら、自分が今どこにいるのか分からなくなるくらい「カレー」感が強くてなんかよかった。

20230825_できっこない(こともない)をやらなくちゃ

・8月がもう終わっちまう! ということにビビり散らかしている。真夏のピークも去ったようで去っていない。ちょっと去った気もしなくもない。まだ全然暑いけどね。でも陽は確実に短くなりつつある。
・暑さ、という点でいうと去年から折り畳みの日傘(雨でも使える)を手にするようになり、今年はもはや外出する際に欠かすことが出来ないツールNo.1ではなかろうか。もはやこの時期生身で外出することはかなり厳しい。と言いつつ何度か日傘を忘れることもあったのですが、何よりも参ったのが日焼け以上に洗髪時に髪がえらいギシギシになること。紫外線がなんか…色々…よくない感じになっている! という気持ちがある。

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・8月何してたかな~と思い出すと、まずコミックマーケット102に行ってきました。2日間フルで。
・暑さ! 人混み! 湿気! 汗! のクアドラプルアタックでお世辞にも快適とは言い難い状態ではありましたが、なんだかんだとても楽しい時間でした。面白い本が買えたことは勿論、大勢の人がひしめき合い、一瞬の交流を遂げている空気は改めて楽しいな~と。コミケに限らず同人誌即売会に行く度に毎回思ってるんですけどね。
・一次/二次創作問わず同人誌即売会の一番尊い(オタク的なアレではなく)と感じることは、マンガでもイラストでも小説でもグッズでも、1つの日に向けて大勢の人たちが集まり、その人たちが作った何かが溢れかえっているということ。そこになんとも言えない感動というか、柄にもなく敬虔な気持ちを抱いてしまう。読み専の自分が恥ずかしいという思いもあれど、自分もよりよく生きなきゃな……と、特に根拠のないやる気が出てくるというか。
・とはいえこれって『ドラえもん』でのび太が「えらい人の話」に影響され、「もっと立派な人になろう!」(「目がかがやいてる」という書き文字キャプション付き)と急に思い立つのと同じことで。結局気持ちだけではな~んも上手くいかないし、オチのドラちゃんの言葉と同様、「無理せず出来ることをやっていくしかない」のですが…。

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・ほかに8月何してたかな~と思い出すと、「ぽんぽこ24」を見ていました。2日間フルで。いや途中で寝たけど。
・大手事務所に属さない個人勢かつ動画メインの活動を続ける2人組VTuberである甲賀流忍者!ぽんぽこさんとピーナッツくんが毎年主催している24時間生放送。
・個人という立場を貫きつつ、バーチャルもリアルに問わず八面六臂の大活躍を繰り広げている2人(狸と豆)が好きなので毎度動画更新・生放送を楽しみにしており、この大規模生放送も去年から見ているのですが、24時間のコーナーとコーナーの間に一般公募から選定された動画CMが挟まるのですね。生放送の性質上VTuberの方々が自分のチャンネルを紹介すること多いのですが、色んなVTuberがいて色んなことをしている(キリンジ『Drifter』)わけですよ。ゲーム実況や歌や雑談は勿論、工作・旅・演劇(VR空間で演劇をしている人たちが結構いる)・楽器演奏・ヒップホップ……本当にあらゆるジャンルの人たちが色んなことをしているんだな~ということに、同人誌即売会で感じたのと同じ感慨が湧いてくるわけです。そうなると、まぁ私も……こんな……見ているだけでいいのか!?? という欲も湧いてくる。別に見ているだけでもいいんだけど。
・そういう意味でやる気を掻き立て鼓舞してくれるものがあるというのは悪いことじゃない。いつでもやる気に満ち溢れている……なんてのは無理だけど、前向きな気分にしてくれるものがあるというのは嬉しいことです。

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・というわけで(?)私も何かやりたいなと思い、「ぽんぽこ24」2日目(8/20)の午後にその日が入金申し込み期限だと知ったので、衝動的に冬コミに申し込んでみました。サークルカットは15分くらいで作ったテキトーな奴なので、ダミーサークルを疑われて弾かれる可能性も全然ある。

・そもそも何を書くのか? という話もありますが、それはおいおい。

20230802_色をつけてくれい

・シティボーイなので、永井博デザインのRollbahnのノートを買ってしまった。近年めっきり紙に文字を書くことなんて減ってしまったので、買ったとて宝の持ち腐れになるのでは……とおもいつつ、とりあえず頭の中に浮かんだ雑多な諸々をメモがてら書き留めてみたところ、一気に1p埋まってしまった。

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・いい歳こいてボーッとすると目の前にあることと全然関係ないことを考えて脳のリソースを食った挙句、本来やらなきゃいけないアレコレが全然進まない……なんてことも稀によくあり、仕事中にそんな状態に陥ることもある程度は防げそうで、意外と良いのではと思ったり。三日坊主になりそうな気もするけど、とりあえずは。

 

・メモツールはEvernoteを皮切りにこれまで色々使ってはみたものの、アプリを開いて書くという動作が習慣化せずに止めてしまいがちで。結果的にはスマホchromeのタブを開きっぱなしにしていたり、Twitter(現・Xとでも書いた方がいいのか!?!??あぁ!!!??)のいいねかブックマークに入れて特に見返さずに終わる……という現状に慣れてしまった今、ノートを開くと書いた情報が全部目に入ってくるという事象が一周回って新鮮味すら感じる。昭和生まれのクソメガネ(ⒸR指定)なので……。

 

・永井博のイラストは今や国内外のシティポップムーブメントと強固に結びつき、これまで以上に「ちょっとレトロでオシャレな雰囲気」を巷間に強く印象付けているけれど、改めて描かれた風景に誰も人がいないことに気づくと、なんというか寂寞感のようなものもあるのだな、と今更ながら思い至る。

 

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・パッと近いところで連想したのは市川春子宝石の国』の月人たちの国。夜の闇に照らされた、真白い豪奢な建物と調度品。あるいは短編『月の葬式』の鯨幕が広げられた「変わったレクイエム」のシーン。荘厳でありながら人の気配がまったくしない清潔さ。どこまでいっても現実からズレたイメージでしかないから、その眩しさに憧れ続けてしまうのか。

 

・というようなことを書きつつ、永井博本人のことや「ロンバケ」と他幾つかの作品以外は全然知らんな……と思い検索したら、ちょうど今日(!)から8月末くらいまで新宿の伊勢丹で個展をやっているようで。たまにこういう小さなシンクロニシティが起こると嬉しいね。

www.mistore.jp

 

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omocoro.jp

・室木おすしさんの『たまに取り出せる褒め』、今回の話も良かった~~~!!! 素敵なエピソードなのは勿論のこと、普段自分の中であまり省みることのない善性みたいなものが顔を出すのが感じられて、それがまたくすぐったくも悪い気分じゃねえな……という感じにさせられる。イラストレーターとしての活動も中々お忙しそうではあるけれど、単行本化を期待しちゃう。『ありスパ』で原宿さんから今回のバズでイジられるのも見たいぜ。

20230731

・7月頭にTwitterがやばいぜ~という日記を書いてから放置したらもう1ヶ月経ってしまったら「X」になってしまった。ついていけるだろうか。君(Twitter)のいない世界のスピードに。

・かたや7/6にザッカーバーグがThreadsをリリースし、私もインスタのアカウントがあるのでそこから引き継いで始めてみており、なんだかんだ1日に1度のペースくらいで何かしら見たり書き込んでいる。最初こそ見られるのはオススメアカウントばっかじゃねーか! という不満もあったものの、数日くらい前からフォローしている人だけを見るタブも出来たので、上手いこと使えそうな雰囲気がある。とはいえ、オススメ欄は気が抜くと謎のビジネス名言アカウントとかしらんレイヤーさんが出てきたりするので、あんまり必要ないぜ! っていうのは積極的にミュートしてアルゴリズムを飼いならす必要がありそう。

・思い出したのが数年前に何らかの必要があってTwitterの別アカウントを作った際、チュートリアル的に最初にフォローしてみよう! っていう雰囲気でTwitterオススメの有名人やインフルエンサーを1人以上フォローさせられる画面が出てきて、有吉みたいなタレント~芸能人からNHKのような企業公式アカウントに混じって、政治・経済識者枠で橋本徹とかひろゆきとかが出てきてしんどい気分になったことがあって。今だとガレソとか出んのかな。ある程度ネットをやっているとカス野郎は最初にブロックしておくのがインターネットで心を守るコツだと分かってくるけれど、何も知らずに初めて「有名人枠」ってコトでフォローして見ていると、そりゃ良かれ悪しかれ影響を受けてしまうよな。そして私にもそうした変な影響を受けた過去があったはずで。

・それはそれとして、Threads自体は今はとても落ち着いているというか、上手いことやっていくと居心地の良い空間を作れるんじゃないかという気がしている。良し悪しは別として、Twitterの悪意から身体と精神を守りつつインターネットをやるという意味ではかなりベターな手段なんじゃなかろうか。勿論、現在はユーザ層が分離しているが故の安定で、今後どうなるかは分かりませんが。恐らくMastodonやらMisskey、あるいはデカ目のDiscordサーバの空気感というものもあるはずで、かつての(自分が理想としていた時代の)Twitterを手放し、新たな世界に足を突っ込むのもアリなんじゃないかと思ったりもする。実際、色んなSNSを周って情報をわしゃわしゃ集めること自体は結構楽しかったりして、かつてのネットサーフィンを思い出したりもするんですよね。ある程度まとまったヒマな時間がないと厳しいけれど。

・まぁそもそもの話として漫然とSNSをして時間を潰すなと言われたらそれはそうで。得られたものもあったとは思うけれど、その時間を別のことに使っていたらどうなっていたのか、ということを考えると恐ろしい。恐ろしいけれど、これからもこうして時間が過ぎていくのだと考えると更に恐ろしい気分になる。

・いつか私はTwitterがなくなる時「Twitterは死んだ 俺が殺した」って書きたかったものの、その機会をイーロンに奪われたのは少しだけ悔しいかもしれない。

・ということくらいしか、Twitterに対しての思いはなかったのだなぁと今更思う。今のところはね。

20230703_バイバイツイッター危機一発

www.itmedia.co.jp

 

・今年の初頭あたりからTwitterの死が叫ばれるようになって久しく、色んなところに活動の移転場所を作る人、そうでない人がいるわけだけれども、移転場所である程度活動していないとただアカウントがあるだけで、特に何もならないな〜ということがここ数日の騒ぎで身に染みました。このブログもそうで、日記の更新をサボりまくってたら4ヶ月があっという間に経ってしまったし、マストドンもいざログインしようとしたら重くて全然ダメだった。いざ終末が間近に見えた時に動いても手遅れだって話やね。

・いずれ遠くない未来にTwitterがなくなったらどうなるか。世の中の大半の人はTwitterがなくとも毎日生活が出来ているわけで、結局時間が経てばなんとかなるのだとは思う。たかが1ウェブサービスが死んだとてよ。一方、思考や行動を10年以上かけてコツコツTwitterに最適化してしまったために、その状態をなんとか維持しようとするも齟齬が生じて苦痛を感じるというのは分かる。多分私も自覚していないだけで大分最適化してしまっているに違いない。

・言うてまぁ使い道によっては別にそんなに困ってない人もいるとは思うし、「ウワーもうダメだー!」感についてはもう少し腑分けして、何がダメになってしまったのかを考えた方がいい気もする。同じテレビや動画を実況して一体感を得るツールとして? 自分の作ったものをバズらせるツールとして? 思いついたダジャレを書いて反応を貰うツールとして? そういう意味ではもうダメかもしれんし、代替手段がまったくないわけでもないと思う。なかったらゴメン。

・ただまぁ個人であれば止めようがどうしようが勝手にせいという話ですが、様々なジャンルの広報とか広告なんかがガッチリとTwitterというプラットフォームに最適化してしまっている現在、急に使えなくなったらそれは本当に大変だよな〜。『水星の魔女』最終話のTwitterのキャンペーンなんか結構なお金をかけているだろうに、情報を発せられない・発したとて誰も見れないという状況はマジにしんどかったろうな。結果的にはなんとかなっていたようにも思える(思いたい)けれど、それでも当初想定していた状況とは程遠いものな気がする。自分が万が一担当チームの一員だと思うと胃がキリキリしちゃうね。考えても仕方のないことですが。

・でもそれって個人の宣伝だって同じで。例えば私は同人誌即売会にそれなりに行くけれど、新刊の情報がTwitterで探せないと困るし、作家の人たちは自作を宣伝する手段が1つ絶たれてしまうのはダイレクトな死活問題だ。pixivで、misskeyで、はたまた懐かしの個人サイトで宣伝するにしても、届けたい人たち(または思ってもみない人たち)にリーチするのかというと、ゼロじゃないとはいえハードルは上がるわけで。昔は個人サイトやリンク集でなんとかやっていたやんけ、と言うのは簡単だけれど一度便利さを得てしまったらやっぱり手放しがたいものよ。

・そう考えるとTwitterの利点の1つは様々な情報が載っていること以上に、それが大量のユーザーにより拡散されることにあったのかな…と気づく。アプローチ数の倍々ゲーム。いわゆる分散型といわれるシステムや、かつての掲示板スタイルでそれを実現するのは難しそう。恐らくシンプルに自分の描いた絵やダジャレに反応してくれる人は、もしかしたら別のウェブサービス上にだっているかも知れない。というか多分いる。とはいえ。

・個人的な使い方の1つとしては、ライフログ的な役割を持たせるには別の手段を考えた方がいいなと思っているので、そこは試行錯誤してみようと思います。今後も色々考えなきゃいけないことは増えていくんだろうな。

 

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omocoro.jp

・とよちゃんの頭身が上がってるコマが良かった。